研究所


ENGINEERS誌2000年12月号

「21世紀の製品安全とPLPを考える」シリーズ

リスクマネージメントを考える


 前回では雪印乳業による集団食中毒事件のニュースから最近の企業、特に大企業における安全・品質問題から顧客無視の体質がもたらす企業リスクについて考えてみた。今号ではもう少し踏み込んで、本質的な観点からリスクマネージメントを考えてみたい。
まずリスクという言葉が混乱しているのか、リスク管理と危機管理を混同するような説明があるが、リスク(risk)とは危険なことが起きる可能性のことで、危機=クライシス(crisis)は、危険が起きるとき・瞬間などの状態をいう。したがってリスク(risk)と「危機」と同一視することは誤りである。危機管理とは危機(発生時)の被害最小化、あるいは回避策を講じることであり、リスク管理はそのような危険や悪い結果が起きる可能性を最小化するもの、と考えるべきである。したがって本稿では、リスクの意味を英語本来の“Possibility of bad result”とする。

 さて企業の抱えているリスクにはさまざまなものがあるが、リスクマネージメントを経営戦略的にとらえる、「企業を取り巻く状況および企業の持つ経営資源を考慮し、早く確実に利益を継続して獲得すること」とする考えは、企業が起こした一連の顧客無視の事件を教訓とすれば、リスクの多い戦略だといえる。利益を出すことは企業の目的ではあるものの、それは顧客満足に裏打ちされた企業活動の結果“与えられる”ものであろう。したがって「質の高い安全な製品で顧客に満足してもらうことが、企業の将来的存続と継続的利益につながる」と考えるべきである。このような視点で考えると、法律、業界その他の規制がなければ「対応しない、義務がない」という企業論理には疑問を感じる。義務や責任は法律や罰則の有無とは別なもので、企業が収益を得る“ところ”(顧客)の利便性・利益、あるいは社会的使命・道徳に基づくもの、として考えなければならない。

 リスクマネージメントを考える場合も同じで、「何のために行うのか」という明確な目的がなければならない。そこで問われるのが、「企業は何のためにあるのか」であり、その社会性や責任を明確にしたポリシーである。しかし最近の企業の不祥事をみると、ポリシーが社員一人ひとりに行き渡ってない、あるいは社長自らそのポリシーを持っていないのではないかという懸念を持たざるを得ない。まずはトップダウンで企業の存在意義を明確にした高尚なポリシーを掲げ、トップ自ら実践し社員全員に知らしめる必要があろう。

 さてリスクを考える場合に人のモラルを避けては通れないが、モラルの低下は日本社会全体にまん延している病みたいなものである。したがってリスク軽減策として定めたマニュアルやシステムは、違反者が出ることを前提としなければならない。また何らかの不具合やミス発生時の保身行動は、顧客の利害のみならず企業の存亡にも関わる事態となるのは周知のことである。

 最近多くの企業がリスクマネージメントを取り入れ始めたが、その効果はどうであろうか。マニュアルや借り物のシステムで、一見マネージメントシステムを構築したように見えても、リスク発生源である“人”のマネージメントを忘れてはいないか、気になるところである。システムにより企業の骨格が作られ、また社員の配置で肉付けができたとしても、新鮮な血液が循環しない病人と同じでは困る。それは自浄作用がない企業体質そのもので、その場しのぎの対処療法の効果がないことは「過去にも同じことがあった」という、不祥事を重ねる企業により明らかである。

 我が国のモラル欠如の遠因は、親、社会が子供のしつけを放棄したことから始まるように思えるが、それは自己中心的な「面白ければいい」という某メディアのコピーが受け入れられる社会と重なる。その結果、社会正義や義務・責任を感じない人が増えているように感じる。彼らは「人の迷惑を見て見ぬふりをする」という、社会人・企業人の“義務”も意識しない。しかし自己の権利や利益には敏感で、上司への歳暮などに余念がないのは「楽をして利益を得る」という効率優先社会の結果でもあるが、本質的には「ずるい」、「卑怯」な人達であろう。今思うのであるが、昔は「卑怯もの」と言われるのがとても嫌われたが、最近はこの言葉を聞く機会が少なくなったように感じる。これも社会モラルの低下なのかもしれない。

 リスク軽減のためには、企業においてしつけやモラルの再教育が求められるが、画一的なマニュアル主体の研修での効果は疑問である。おそらく知識としてのモラルは皆分かっていることであるから、五感や心に訴えることで実感してもらう必要がある。例えば、身近なルール無視や小さな不誠実の言動を、上司や同僚が指摘する“恥ずかしさ”の実体験、という当たり前のことが、どの程度行われているか検証してみてはどうだろう。どの職場でも当たり前の実体験だと思うが、このような人間関係が大事である。
さてルール無視の心理であるが、その多くは「自分の能力を悪く評価されたくない」という、人間の向上心に基づく本能的なものである。それに加えて「こんなことは誰でもやっている」との自己正当化論理を展開することで、罪悪感を感じなくなっている。しかし一般社会では法律により定められたルールを犯すことは犯罪であり、企業内でもルール無視は「犯罪」として扱うべきである。そしてルール無視のペナルティーを文書で明示、不正の事実を吸い上げるリスク管理室などの部門・人の配置、お手本となるリーダーの育成などを行うことが必要であろう。

 このときに大事なことは、品質問題の判断に必要なセンスであり、顧客を身近な家族や知人に置き替えて被害をイメージ・感じられる人を増やすことである。食品の品質問題で不正を見つけたら、「自分の子供にそんなものを飲ませる気か!」と部下を怒鳴りつけるくらいのリーダーが必要である。それも皆のいる場所で行うことが、公正さのためには大事である。

 また内部告発を意味なく嫌う人・企業があるようだが、内部告発は近い将来企業を襲うリスクを軽減するものであり、事前に負担する保険とも考えられる。内部告発を健全な企業の証として、勇気ある社員を葬むるようなリスクは引き受けないことである。

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