研究所


ENGINEERS誌2001年4月号

「21世紀の製品安全とPLPを考える」シリーズ

確かめたい判断のよりどころ


 前回では最近の企業の不祥事からリスクマネージメントの本質的なものから、社員一人ひとりが品質問題に必要なセンスを持つことの重要性を考えてみた。また企業の取り組みが、人のマネージメントを含めた総合的なシステムとして機能しているのか、ルールを遵守する人を前提としたシステムに依存しすぎていないか、という疑問も出てきた。我が国企業の相次ぐ不祥事からは、業種を越えて共通の問題があるように思われるが、今号では不祥事の背景を別の視点から考えてみたい。

1. 宗教・信仰から学ぶ

 日本人の多くは寺や神社に参拝に行くものの、自覚的な宗教への信仰心からではない、といわれている。また自ら「自分は宗教を持っていない」と感じている人も少なくないようである。海外駐在経験者では、赴任先で宗教を持たない人に対する驚きや、不思議そうな目で見られたことも多いと思う。そのため人によっては「自分の宗教は仏教」と決め込むことになるが、お祈りはしない・喜捨も行わない・人助けや社会に貢献する喜びをそれほど感じなくても、である。このような背景からくると思うのだが、新大久保駅で落下した人を助けようとして残念ながら死亡した人が、ことさらクローズアップされてしまう。危険をかえりみず人助けのできる“人”は立派であるが、ニュースとして特別扱いを続けるメディアにも違和感も覚えるものがある。韓国市民のコメントがテレビニュースで流れたが、「韓国では人助けは当たり前、なぜ日本のメディアが大きく伝えるのか不思議です」との言葉が印象的であった。このことは、日本では人助けはニュースになるほど珍しいものである、という見方かもしれないし、また「私は美談に共感できる感性を持っている」ことを再確認するための、個人的満足感を得るためなのかもしれない。どちらにしても、日本人の「ゆらぐ信条」というものが見えるようである。
 少々飛躍するが、多くの“信仰心を持たない”日本人は、「何かのときの絶対的なリファレンスがない」ということであり、それが昨今のモラルなき数々の不祥事の大元のように思えてならない。それは競争社会で勝ち抜いてきたエリートが築いた人生指南(マニュアル)をお手本に、金・もの、地位・名声などを“楽”をして手に入れることを人生の目標とする認識が定着しているからかもしれない。
 さて宗教の良いところには、絶対的な神を信仰することから相対的に我々人間を、小さい・弱い存在であることを認識させ、おごる人をたしなめ、反省を促し、謙虚さを取り戻させる、ということがあるように思う。それは人の痛みや立場が理解できることであり、またユーザー・消費者の立場や視点が分かるということでもあろう。個人利益を追求することから起きる最近の問題・事件では、今我々が持つべきものは“謙虚さ”である、と教えてくれているようである。それは一歩下がって現状を客観的に見る態度であり、人の意見や話を聞くことである。それは相手の話が終わってから自分の言いたいことを話す、という簡単なことでもある。このようなことを意識的に行うことで謙虚さが増し、その中から社会・企業内での判断に伴う多くの事象を認識することができるのではないか。その結果、真理にも近いリファレンスが醸成され、判断のよりどころになるものと考える。今の社会ではハウツーもの(本、助言など)に示された対策を検証せず、ただ従うだけの行動が多すぎるのではないか。それが不祥事につながり、企業リスクを増大させるものと考える。

2. 味見をしない主婦

 日本経済新聞の今年1月17日に掲載されたコラム、「ウーマンアイ」は興味あるものであった。「味見をしない主婦」と題するもので、主婦がなぜ総菜などを利用するのかについて考察したものであった。それによると、料理をするときに味見をしない主婦が目立ってきたという事実が判明、理由を聞くと「だって、書いてある通りやればできるから」というそうである。特に40代前半以下の主婦に顕著らしく、驚いたことに子供の弁当に入れる冷凍食品を食べたことがなく、味を知らない人も少なくないという。レシピへの絶対的な信頼?からか、「ちゃんとできているはず」とし、一番大事な要素である「味」を確かめなくても平気なのである。主婦が「ちゃんとできているはず」という「できる」の意味は、おそらく見た目の状態のことではないだろうか。また調理済み食品についても、「作るのが面倒だから」ではなく、「調理しても総菜を買ってもどうせ同じこと」というもので、失敗の少ないコースを選択しているようである。これは味の幅を否定し、「料理は単一的なもの」と考えているようでもある。
 企業内においてもルールやマニュアルの内容、結果がどうなるかに関心を示さない人が少なからずいる。これは省エネ行動から自分の行動を意識的に狭め、「自分は言われた通り従うだけ」、「それが責任をとらなくて良い方法」とし、企業理念や品質要素を直視しないことでもある。彼らはまた、システムや文書を信頼するあまり「何々のはずだ」との論理をよく展開し、「絶対大丈夫」と言い切ることで検証を怠るようである。これらの原因として、「何のためのマニュアルか」という理念・目的が教えられていないことも考えられる。

3. 不正防止のシステムを

 歯科医師国家試験問題の試験漏洩問題、機密費の横領問題が最近のニュースとして騒がれたが、これら不正がはびこることは、産業界・日本国全体の生産効率を著しく下げるものと考える。それは不正を行う者が結果的に利益を享受し、社会生活が存続できてしまう社会の問題でもあるが、結果的には金やエネルギーを個人の利益だけに利用する社会全体のロスである。公平さが崩れることも大きな問題で、モラルハザードの拡大から企業にも影響する。企業でも取引先・部署間での不当な便宜、営業接待費の不正利用、利害が絡んだ歳暮など、社会の不正と同じことがまん延しているが、個人の保身や利害目的の利益供与には、マネージメントシステムで厳格にチェックする必要があろう。一部の企業が歳暮類を完全に廃止するなど、健全な取引形態を保つための取り組みを始めたが、その他多くの企業ではどうなのであろうか。

4. おわりに

 さて不正などのリスクに対して企業は何を行うべきだろうか。個人の信条などは規制できないが、より良い社会に向けての企業の活動理念を社員に周知するなど、モラル向上への取り組みは不可欠である。また社員にとって、労働の対価である賃金などの待遇は最重要事項であり、それらが公正・民主的であることも必須である。そのためには情報公開が必要であり、ヒアリングなどで評価を伝えて部下とのコミュニケーションを図っている企業もある。また年俸制の導入や部下による上司の評価など、企業内の人事面での評価システムも変ってきているようである。海外を含め多くの人、異なった価値観・文化を持つ社員が、共通の利益に対し活動できる民主的な企業であるためは、コミュニケーションの確保から始める必要があるだろう。さらに公平さを確保する利益配分として、社会・環境などへの還元も忘れないで欲しい。

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