研究所


ENGINEERS誌1997年8月号

「21世紀の製品安全とPLPを考える」シリーズ

製品安全とバリアフリー

 最近はバリアフリーという言葉をよく聞くようになったが、普通に考えるバリアというのは身体的な要因により社会生活を営む上で顕在化される障壁である。そしてバリアフリー商品の対象者は、歩けない(歩きづらい)、見えない(見づらい)など体の機能の一部が“無い・悪い”状態の人である。

 物がよく見えない人は、めがねを使用することで通常の社会生活ができるのだから、めがねもバリアフリー商品といえよう。しかし、めがねをバリアフリー商品という人はいないし、近視の人を障害者ともいわない。片足が不自由で松葉杖を使って歩く人は障害者といい、歩行補助のために杖を持つ老人を障害者とはいわない。車いすに乗った人が障害者であり、めがねをかけた人を健常者というのは、めがねの歴史や普及といった社会的認知との関わりがあるようである。近い将来?健常者と同じようにどこでも車いすで自由に行け、それを特別視しない社会になれば彼らは障害者というよりも「自転車に乗る人」と同じく「車いすに乗る人」となるかもしれない。

 このような考えを進めていくと、人は何らかのバリアを抱えているのであり、それは運動神経や五感、そして脳の反応など多岐にわたることが分かる。このことからバリアフリーとは全ての人のための概念、と考えるのが自然であろう。

 さて世の中には使いづらい商品というのがあり、使い方を習得できない、あるいは使い方が分からずにけがをしたり、製品を壊してしまうことすらある。これらは使用者にとってのバリア付き商品ともいうべきものである。よく引用されることだが、「この商品はデザインはいいのだが、使い勝手がどうもね」というときの“デザイン”は、デザインという概念の一部である“見かけ”のことをいっているのである。本来、デザインというのは使いやすくて初めて“良いデザイン”なのだが、これを理解しないデザイナーが多い。

 健常者にとっても使いづらい商品が多い中、あえてバリアフリー商品として市場に提供される商品は、ある特定の障害者に使いやすくしただけのもの、つまり特定者向け商品のものが多い。またこれらの商品は障害者のバリア1つを取り除く単一バリアフリー機能が多いのも特長である。最近はトレンドともなっているバリアフリー商品は、実際に困っている人は歓迎するであろうが、中にはうたい文句だけで「バリアフリーもどき」もありそうである。

 我が国では、車いすトイレなどの施設や装置が大がかりになることが多いが、施工側の反省はほとんど聞こえてこない。ある障害者の話であるが、欧米では車いす用トイレだけの施設はあまりなく、トイレには普通の個室トイレと並んで少し横幅の広い車いす用トイレがいくつか設けられている。もちろん下側は開いているので「車いすの人が誰か使っているな」とすぐに分かる。コストも普通のトイレとあまり変わらない、というのである。つまり彼の国では、「トイレは健常者と障害者が共に利用できる場所」を前提にした結果、コストをかけずに社会基盤の整備を行っているのである。

 そこで「何のための車いすトイレなのか」という目的を考えると、我が国の行政や公共空間の設計・施工者は「社会の要請だから、車いすトイレを設置する」といった責任を果たすことから出発するため、その施設の有無が問題視される。そのため使い勝手などの配慮に欠けることが多く、通常は施錠されていて管理者を呼び出す必要があるもの、あるいは物置として使われているものすらあるのが現状である。今、用足しをしたい利用者からみると通常(健常人)の生活感覚から相当かけ離れた状況に遭遇するわけである。このあたりの設計思想や施工後のマネージメントには「利用者の使いやすさ」という発想が欠落しており、売らんがための商品を開発し市場に提供する企業の考え方と共通するものがある。つまり“自分のため”という自己擁護を基本とする考えの下、利用者の利便性が結果として無視されるのだが、悪いことに当事者はそのことを直視しようとしない。

 なぜユーザーのための使いやすい商品が少ないかは、企業にあってはコスト・納期などを優先するため、当初は使いやすい発想があったとしても最終的には受け入れられない状況になるようである。そこには消費者との、環境アセスメント的な思想が存在しないのである。一方、行政や公共機関などでは先ほどの“責任”としての発想から責任を問われるのを嫌い、大がかりな施設にしたり管理上特別の?配慮をするのである。最近は疑り深くなり、このように税をムダに使う施設は裏で受注業者が暗躍するためだと思えてならない。そうでなければ日本人はよほど頭が悪いことになり癪でならないのである。

 最近のJRの特急には1編成に車いす用指定席1つが設けられているが、これを知らない駅員のために切符を購入できなかった女子学生の新聞記事を読んだことがある。ハードを整備しても使う側に立ったマネージメントが欠落していることのいい例である。

 製品安全を考える者(企業といいたいのだが…)の立場では、ユーザーのリスク軽減が第一の目的であり、そのための安全設計技術や事故解析など研究するのである。しかし安全設計思想がともすれば企業論理の中に埋没してしまう状況では、「誰のための安全か」を再認識する必要がある。モラルも大事だが、社外(ユーザー)の立場でモノがいえる人間が必要であり、企業も彼らを評価し実績に見合った処遇をすべきであろう。

 今回はバリアフリーの視点から考えてみたが、製品安全を追求していくと最終的にはバリアフリー商品になると考える。つまり誰にとっても使いやすい商品は潜在的に危険のリスクが少ないからである。企業はこれからの新しい時代に向けて、一般製品であっても「バリアフリーになっているか?」との問いかけをすべきである。

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