Iターンネットワーク

新・信州人倶楽部


▲▲▲ 新・信州人倶楽部報 ▲▲▲



第10号

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〜杜氏の世界〜


佐藤 明

 日本酒造りを語る上で、欠かせないのが「杜氏」(とうじ)の存在である。酒造り職人全般を「杜氏」と呼ぶ場合もあるが、厳密には酒造り集団の長を意味する。(杜氏のもとで、酒造りに従事する職人は蔵人[くらびと]と呼んでこれと区別している。)また、各地方に存在する酒造技術者集団のこともその地方名を冠して、南部杜氏、越後杜氏などと呼称したりする。
 この杜氏集団が生まれたのは、地方によって多少のズレはあるが、おおむね江戸時代中期と言われている。江戸幕府は、寛政10年(1798年)に秋の彼岸以前の酒造り禁止令を出した。米本位の経済体制を採っていた幕府にとって酒造に伴う端境期の米の大量消費が米価を高騰させ、経済に混乱が生じることを恐れたためと言われている。このころから日本酒造りは11月から3月にかけての寒造りが主体となり、農閑期の農民を中心として、酒造り集団が各地に次々と誕生することになる。以来、長い年月にわたって営々と彼らは日本酒を醸し続けてきた。


 酒造りは過酷な労働である。杜氏を長とする酒造り集団は、秋に蔵入りすると春までは里に帰らず、早朝から深夜まで酒造りに従事する。以前は放冷から仕込水・蒸米の運搬まで全て人手に頼っており、麹造りや酒母(しゅぼ)造りの工程にはいると、毎日深夜の作業が繰り返された。洗米にいたっては、真冬の凍てつく水の中に手足を浸けて行われていたと言う。
 また当時は、泡番(あわばん)という珍しい役回りがあったようだ。発酵を始めた醪(もろみ)は、次第にたくさんの泡を出す。そのままにしていれば仕込タンクからこぼれてしまうが、間断なく泡を突っついていれば、これを抑えることができる。困ったことにこの泡の正体は炭酸ガスに付着した酵母なので、これが吹きこぼれてしまえば酵母の絶対数が不足して発酵が著しく鈍ってしまう。そこで泡番と呼ぶ不寝番をたてて、終夜泡がこぼれないように見張っていた、と言う。彼らは昼間の重労働でどうしても眠くなってしまう。ある時、知らず知らずのうちに仕込タンクにもたれて眠っていたら、誰かが首のあたりをくすぐるので目を覚ましたらこぼれた泡の仕業だった−−こう言う事もよくある話しだったらしい。

 このように非常に厳しい仕事だったが、当時としては高額の貴重な現金収入になったため、蔵人になりたがる者はあとを絶たなかったと言う。しかし、戦後のとりわけ高度成長期以降の急激な産業構造の変化に伴って、−−特に農村の衰退と軌を一にして−−その担い手は激減しつつある。現存する杜氏さんたちもその殆どが60歳以上であと10年もすれば、杜氏集団は成り立たなくなると言われている。それはある意味では当然のことなのだと思う。一定の技術化は進んだとはいえ、半年もの間家族と別れて働く形態は依然として変わらず、生き物相手の作業である以上、どうしても早朝深夜の仕事が付いて回る大変な労働である事に変わりはないのだから……。

 ここに至ってこの業界もやっと重たい腰を上げて、自社での技術者の育成を開始し始めたが、どちらかというと3Kと呼ばれる職種に近いので、若い人たちも仲々気楽には入ってこられないようだ。ここでもIターン者は各地で奮闘している。中には奈良「梅の宿」のフィリップ・ハーパー氏のように、オックスフォード経由で蔵人になってしまった例もある。彼などはグローバルな時代のIターン者の先駆と呼ばれるかも知れない。しかし例えば、どんなにIターン帰農する人々が増えても、おそらくはそれらの人々が営農者の主力とはなり得ないと思われるのと同様に、やはり、我々Iターン蔵人も主力たり得ないだろうと私は思う。酒造りは根本的に地場産業という性格を持っており、土地の米と土地の水で、土地の人々が醸すのが本来の姿ではないか、と思うのである。そのためには従来の食管制度のもとで分断された農と醸を正常な関係に戻していくための努力が不可欠だと思われる。これは実に大変なことかも知れないが…。

 それでも私は彼ら先人達が過酷な労働の日々の中から世界に類を見ない幾多の技術を生み出し、伝承してきた事を心から誇りに思う。そしてそれを万分の一でも受け継いで行きたいと思っている。「仮に私が今日職場をやめたとしても、明日採用される人間が一週間もすれば十分に何の支障もなくこなしてゆく。このような仕事がどうして私の人間的独立の、社会の中での対等の意識の客観的基盤となりうるだろうか。」かつて中岡哲朗はこうした問いを発し、新たな技術論を提起した。自分自身の中でははなはだ未分化なのだが、この問いに対する答えを私はこの技能の世界に見出したいと思っている。あくまで個人的な小さな答えにすぎないが…。

 春3月……全ての仕事を終えた蔵はしばしの眠りにつく。やがて夏が過ぎ、秋の深まりとともに再び蔵は目覚める。その年の気候と米と水でその年の酒を醸すために。「毎年一年生だ」、そう呟きながら蔵人達が各地の蔵に帰ってくる。たった一度のしかしまた確実に訪れる冬…。「永遠に回帰する時間の流れ」がここにもある。杜氏制度は近い将来確実に崩壊するだろう。しかし酒造りは決して滅びない。彼らを識る者として、彼らの末裔として、私は醸し続けたい。技能の復権への願いを込めて…。



4月度例会(総会)のご案内

3年目を迎える倶楽部の総会です。議事終了後はボーリング大会をします。


会員紹介

今号では3人の会員に登場してもらいます。


〜お知らせとお願い〜

 以前から複数の会員からいただいた要望ですが、「例会などで参加したときに誰が誰だか分からない」ということで、皆さんの写真に名前を付けた名簿を作ってみることにしました。カラープリンターを使ったきれいな顔写真名簿ができそうです。
 そこで皆さんの顔写真を中澤まで送付して欲しいのですが、協力よろしくお願いします。家族全員分を送っていただいてもかまいませんし、代表者だけでも結構です。全て掲載するつもりです。パソコンに写真を読み込みますので、サイズは4cm×5cm内に顔が移っていれば、普通のスナップ写真で大丈夫です。もちろん、写真屋さんでバッチリきめてもいいでしょう。

 なるべく早く作りたいので、4月15日までにお送りください。6月の会報と一緒に届けられれば、と思っています。写真は4月4日の総会に持参されても結構です。なお、“写真を提供いただいた方(家族)だけ
の名簿”、となりますのであらかじめご了解ください。


編集人から

 最近、メダカやホトケドジョウが絶滅の恐れのある“種”に指定されました。河川、湖沼などの汚染は下水道(ある種の循環システム)の整備が進めば改善されますが、田んぼや農地からの汚染物質はどうするのでしょうか?

 製造業では循環型社会を目指したゼロエミッション(外部にゴミを出さない)に向けて対応を始めています。農業においても、田んぼで使用する化学肥料や農薬などを河川に流さないで、農地で循環させる方法を考えるべきなのでしょう。

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会報目次

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