Iターンネットワーク

新・信州人倶楽部


▲▲▲ 新・信州人倶楽部報 ▲▲▲



第44号

●●● ●●● ●●● ●●● ●●● ●●● ●●● ●●● ●●●


〜忘れな草〜


古田 道雄

 小学校の5年生だったと思う。伯母に連れられて映画を見た。「忘れな草」という題名のヨーロッパ映画だ。伯母はこの時期姫路駅の近くに住んでおり、僕らはここから北に60キロ程の田舎に住んでいた。母が僕を連れて伯母の家に来ていた時のことだ。伯母と母で見るつもりの映画だったと思う。小学生の僕には少し早すぎる映画だが、何かの事情で家に残して置けなかったのだろう。生まれて初めて映画を見た。それもヨーロッパ映画だ。映画の内容はほとんど何も覚えていない。忘れな草という歌だけが記憶にある。この歌が心に深く刻み込まれたらしい。このとき僕は歌に感激することを知らなかったし、音楽にそんな力があることを想像すらできなかった。

 ずっと後になるが「忘れな草をあなたに」という題名の歌が一時日本で流行した。忘れな草という題には敏感に反応し、かなり期待して聞いた。しかし、それはまったく別の歌だった。さらに何年か後になるが、プラチド・ドミンゴ(テノール)のアルバムで、Be my love(カタリ/ドミンゴ愛を歌う)というタイトルのレコードを買った。ドミンゴはこの時すでに世界最高のテノールであると云われていた。これにはもちろん「忘れな草」が入っている。探していたのはこの歌だ、しかし何か少し違うのだ。曲の説明で、1940年、往年の大テノール歌手ベンジャミーノ・ジーリが主演、同名の主題歌として有名になり、愛唱されるようになったイタリア民謡。と書いてある。

 レコード・ショップに行くたびにジーリの忘れな草を探した。これがなかなか見つからない。少しあきらめかけていたとき、Benjamino Gigli Belconto Italiano という2枚組みアルバムの中に見つけた。なんと、曲名の表記が違っていたのだ。ドミンゴのアルバムでは Non ti scordar di me(わたしのことを忘れないで)となっている。ジーリの方ではVergiss mein nicht だ。ちなみに、最近買ったペーター・シュライヤー(テノール)名唱集ではジーリと同じ表記になっている。

 2枚目のレコードの6曲目、アナログ・レコードではいきなり6曲目からというのはめったにやらない。頭から順番に聴く。これだ、懐かしい!! 40年以上も前に見た映画の主題歌。ドミンゴのアルバムの曲説明では、「映画では、ローマにあるドイツ商会の駐在員ロドルフとベルリンからやって来た若くて美しいエリーザベトとの甘い恋の場面に幾度となく聞かれた。」となっている。幾度となく心に刻み込まれていたのだろう。
名ヴァイオリニストのユーディ・メニューインは、14カ月の頃から音楽会につれられていった。彼は音楽の音に大変よく反応したので、4歳になると、もう小さなヴァイオリンを与えられた。と、音楽ジャーナリストのマーガレット・キャンベルは書いていた。僕が忘れな草を聞いたのは10歳頃のことになるが、映画の中で幾度となく聞かされたから反応したのだろう。とても幸運だった。

  日本の子供たちが名演奏に接する機会は極めて少ないのではなかろうか。これはコンサート・チケットが高すぎるからだ。1960年代のニューヨークでは、99セントでジャズ・クラブに入ることができ、一晩中ジャズが聞けたそうだ。

 


〜みたぼら通信〜


伊豆 光男

344 2004白露
 紫色のアケビの房が川の上でゆれている。ネコジャラシ、アカマンマ、草たちも実りの秋を迎え、急いで実をつける。稲刈りがはじまり、百姓は天気を気にしながら稲を刈る。

 ガソリンが値上がりしている。ガソリン税を止めてくれれば、たちまち半値になる。時には政府が国民の痛みを救っても良いと思う。石油メーカーが最高の利益を上げている。これって便乗値上げの結果でしょ。原油を巡って戦争が起き、原油があるからチェチェンをロシアは放さない。原油を投機の対象にしている人がいて、値段を吊り上げ喜んでいる。

 台風の行方を気にしながら、布団をかぶって寝る。山の木を揺する強い風、強い雨。ひたすら寝た後の朝、鶏舎とハウスの被害を見て回る。道路に溢れた水の中にドジョウを見つけ、溝に戻してやる。台風の被害をテレビや新聞で見ては、我が家の無事をありがたく思う。いつも台風が自分の所に来ないことをひたすら願っている。「一年中、野菜が取れて、暖かいところはいいなー。歳を取ったら・・・」といつも言っているのだが「こんなに台風が来るんでは・・やっぱりここで我慢しよう」 農民には台風は怖い。

 沢山の被害を知るにつけ、台風がやって来るのは仕方ないが、被害に対する救済の手立てをしてほしい。霞ヶ関のコンクリートの建物にいて、台風の被害と関係ない人には、台風で財産を失う農民のことなど理解できない。
りんごや梨はコンクリートの建物の中にしまうわけにいかない。落ちてしまったりんごの手当てを国がしてもいいと思う。保険に入っていればある程度の救済はあるのだが…。銀行や企業には沢山の税金を投入して救済しているのに、百姓は絶滅しても良いと思われているのだな。

 百姓は博打打ちみたいで、作ったからといって売れるわけではない。うまく出来ても台風が来て全部パーになったりする。だからこの町で専業の農家は我が家の他に牛飼いが数軒あるだけである。
☆ 我が家の玉子で作るカスタードプリンが大変おいしい。牛乳と玉子を混ぜるだけでできるものが市販されています。一度、お試しください。

●●● ●●● ●●●


第345号 2004秋分
 緑の柿の葉の間から赤く色づいた柿が鈴なりになっている。暑さは残っていても秋は深まりつつある。暑さが去るとともにトマトは魅力を失い、畑に取り残されるようになった。その取り残した赤いトマトの実を虫が食べている。

 長野県では知事が住所を阿南町の隣、泰阜村に移したことをめぐって裁判が起きている。どこに住民票を置くかは個人の自由であって、行政が許可や確認を必要とするものではない。知事が実際には泰阜村に住んでいない。というのが長野市の言い分であるが、知事がほとんどの時間を長野市にいるというのであるなら、サラリーマンの住所は会社の所在地になってしまうし、知事だからといって、一人一人の住民の生活実態を行政が探偵のように調べること自体が違法である。知事にだってプライバシーがある。仕事の後どこへ行ったのかつけまわすようなことをしてはいけない。税金の無駄遣いである。長野市の言い分が正しいのであるなら、政治家の先生はみな東京都民である。市長は知事が嫌いだという理由だけで、税金で嫌がらせをし、新聞とテレビが知事が変だとの宣伝をしている。前知事のときには一度も聞いたことのない、知事の支持率なるものまで発表するようになった。テレビや新聞の冷静さを欠いた報道が長野では日常になっている。

★春、娘が作った小鳥の巣を家の裏の杉の木にかけた。夏、蜂が通っているのを発見。蜂の巣はしだいに大きくなり、今では巣箱の周りをすっぽりと覆うシマシマの巣になった。小鳥が来るかと思っていたのに残念な結果である。人生は時々望まない方向へ行ってしまうことがある。自然があいての場合は、ことのほか思ったとおりには行かない。(光男)

●●● ●●● ●●●


第346号 2004寒露
 台風が又やってきた。奥の池は満々と水を湛え、脇から溢れた水が我が家のハウスのほうへと流れている。今年初めて池を見に行った。草を掻き分け、排水口を点検。水面の木の枝をどけると小さな水の渦ができた。そのあたりを棒でつつくとゴミが流れ出し大きな水の音と渦ができた。大雨で堤が崩れる心配がなくなった。
子供の勉強のお付き合いをしている。「英語は父さんに聞かないでくれ」「社会は何とか分かる。何でも聞いてごらん」「1159年」「応仁の乱」「ブーブー」「仏教伝来」「ブーブー、父さん全然駄目じゃん」「もう40年も前のことだから、年号は覚えていない、もっと他のことを聞いて」「法隆寺を建てたのは」「大工さん」「ブーブー」「職人の技術なしに建物が立つわけがないだろ。どんな建物だって国は金を出すだけで、職人がいなければ建たない。この家だって父さんは金をだしただけで大工が建てた。法隆寺を建てるには高度な技術がいる。」「教科書に書いてあるとおりに覚えなくてはいけないんだ。」「こんなものは何の役にも立たない。何十年かして子供に馬鹿にされる道具になるぐらいだ」

 中国の「史記」にしても歴史に残っているのは勝った者の記録であり、王様がいつ死んだという記述が目に付く。文字に残すことのない農民の記録は歴史の中に残らない。本来、歴史は明日を生きるための指針にするために学ぶものであり、明日の指針となりうるものを歴史にしなくてはいけない。われらが学んだ歴史も、ジジ、ババが学んだ歴史も、人々が明日の指針を見出すことのできない英雄の歴史でしかなかった。われらの暮らしも、失敗こそが学ぶに値することである。英雄の戦いの記録を「歴史」として教えているのは間違いである。主権在民の憲法に照らして間違いである。

 テレビや新聞の記事も載せるものと載せないものがある。歴史も何を載せ、何を載せないのか、作る人の意思が働く。歴史の教科書は特に作る人、文部省の意思が強く働く。娘はその教科書を一生懸命覚えている。
中学生の算数ぐらい何でも分かる。父の貫禄を見せなくてはいけない。図形なんて、「この線を伸ばして三角形を作ればいいんだ。」娘の算数を覗き込んでは、ああだ、こうだといっていた。ある日、文章問題で娘に先を越された。もう算数にも口をださない。いつかそんな日が来る。様々なそんな日がくる。


〜安曇野にパチンコ店〜


 会員から次のような投稿がありました。地権者や役場が安曇野に大型パチンコ店を複数誘致しているようで、安曇野の景観が変わっていくのが心配です 地元の人は自分達が住んでいる環境がどれほど良いのか、そのようなことをあまり感じずにお金第一主義に走るのでしょうか。それも有力者がそうでは困ったものです。

●●● ●●● ●●●

 安曇野の大規模農道沿い、堀金村と三郷村にパチンコ店を造る計画があがってきています。堀金物産センター前に1件、ベイシア西に1件、そして三郷村にも1件。複数の業者によるもので、すでに地権者を集めて説明会も開かれています。驚くと同時に悲しくなってしまいます。

 ベイシアが出来ちゃったときも、常念岳がいちばんキレイに見えるところに傍若無人、といった感じでどーんと出来てがっかりしたのですが、今度はパチンコ屋。なんでそんな不健全なものをこの美しい田園風景の中に置こうとするのでしょうか。地権者の中には自分の田んぼをつぶしてそんなものを作っては、自分の一生の働きが台無しだ、と嘆いている人もいるといいます。でも、「みんなが賛成するから仕方がない」と。安曇野の景観、環境の美しさはここに住む住民だけのものではないはずです。

  ましてや地権者だけのものであるはずがありません。安曇野にあこがれ、慕う多くの人のもの。そして、この美しさを護ってきた祖先たちと、この美しさを受け継ぐべき将来の人たちのもの。それを、わずかなお金と「時の流れだ」と言う言い訳でもってぶち壊そうとするなんて、恥知らずの極みです。子供たちのための環境を考えるべき立場にある人までが、「パチンコ屋ができると税金が儲かるで」といったとか。

 私たちはよそ者です。でも、安曇野を好きで、ここをこどもたちのふるさとにしたい、と思うからこそここを選び、ここに住んでいるのです。私達が大切に思う安曇野を、古くからいる人たちが荒らしてしまおうとするなんて。悲しくて、情けなくて、無力感を味わってしまいます。それでも、「もう、いい! 代々ここで生まれ育った人たちがそうしたいなら、安曇野の美しさなんて幻にしてしまえばいい!」と、思い捨ててしまう事も出来ません。一部の地区、親たちが声を挙げ、反対の署名運動もおきつつはあります。でも、役場の中、村の裏で進みつつある流れは止めようもありません。子供たちの通学路に面した場所であるにもかかわらず、 PTAも「政治活動はしない」とかいう理由で会長が静観を決めたそうです。信濃毎日新聞も力をいれて取材をはじめてくれましたが、情報が表に出て来ないので難しいようです。堀金村の中だけの問題にしてしまいたくありません。
 皆さんはどう思われますか。

●●● ●●● ●●●

 この問題はその後住民による署名運動が展開され、パチンコ店出店計画は撤回となりました。こちらでその後の経緯を紹介します。(2005.1.31追加)


編集後記

 先日お客様から地物のマツタケをいただきました。今年は数年ぶりにキノコが大豊作のようです。北アルプスの山々では初雪の便りも届いていますが、紅葉は例年より遅く、鮮やかさも今ひとつという感じです。木の実が少なくクマの被害も相次いでいるので、山に入る時は鈴をお忘れなく・・・(宮)

 “晩秋”の北アルプス、蝶ヶ岳に登った。十数年ぶり……実に久しぶりのアルプス登山だ。体力の低下(というよりも運動不足)がたたって、登り降りともに膝や太股が大変な状況になった日帰りの山行だったが、アルプスの持つ独特の雰囲気は相変わらず素晴らしく、と同時に登山部に所属した高校時代の懐かしい想い出が甦り、自身の信州への憧れも再認識できた一日でした。(高)

 またまた庭の話題で恐縮ですが、フェンネルのイモムシくん達、何とその後オオカマキリ2匹にみんな食べられてしまったのです。その後はまたカメムシの子供がいっぱい。しかしある日、一輪車にキアゲハが。見ると足元にサナギがあり、今しがた出てきたのか、じっとしています。そして、しばらくすると羽をブルブルッとさせて、ふわりと飛んだのです。生き残ったのがいたのですね。その日は夫婦2人で幸せな気持ちでした。(中)

●●● ●●● ●●● ●●● ●●● ●●● ●●● ●●● ●●●

会報目次

みんなで発信おたより紹介今までの活動の紹介新・信州人倶楽部に興味のある方へ
TOPページ

●●● ●●● ●●● ●●● ●●● ●●● ●●● ●●● ●●●