Iターンネットワーク

新・信州人倶楽部


▲▲▲ 新・信州人倶楽部報 ▲▲▲



第57号

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〜総会報告〜

宮崎 崇徳

 4月15日(日)の午前中、松本市の梓水苑で倶楽部の総会が開催され、遠方からの参加者も含め25名の参加がありました。
 活動報告、会計報告に続いて、新年度の事務局体制、活動計画等の提案があり、満場一致で承認されました。

 今年度倶楽部は創立10周年を迎えます。設立当初に比べ会員数も増え、倶楽部の目的や役割も変わりつつあるようです。そこで10周年の節目を迎えるにあたり、今後の倶楽部のあり方や進むべき方向についてじっくり議論する必要があるとの認識で一致しました。そして初心に還り、まずは会員の自主性を尊重し、事務局は会員のサポートに徹するという方針が確認されました。

 今年度より総会と忘年会のみ事務局が主催し、その他の例会は地域の会員が主体的に行う(事務局はサポート)形となります。まずは中信および東信の会員主体で2〜3のイベントを企画するところからはじめ、今後全県へ展開していきたいと考えています。
 早速東信からは具体的な企画案の提案もあり、今後の展開がとても楽しみです。是非、より多くの会員が積極的に関わり、自分達の倶楽部として盛上げてもらえればと思います。

 その他にも傷害保険の加入、家族会員の考え方、名簿構成の見直し等について積極的な意見交換を行いました。今後事務局で詳細を検討し、今年度中には具体的に反映させていく予定です。

 昼食をとりながらの懇親会の後、浮世絵博物館の見学会もあり、15名の会員が参加しました。10周年の節目の年にふさわしい、有意義な総会だったと思います。今後も自由な議論を重ね、新たな倶楽部の第一歩となることを期待しています。みなさん、お疲れさまでした…。

 

〜旅行ガイドには絶対に載らない我が街紹介:第6回〜

〜「盗人川」という名前の川がある〜

MD90P

 神戸には、第1回で紹介した「貧乏川」に以外に、珍名川がもう1本あります。
神戸市灘区を流れる観音寺川(二級河川)の支流で、その名も「盗人川」。文字通り「ぬすっとがわ」と読みます。

 一見、ただのドブ川ですが、これでも、正真正銘、神戸市の管理下にある普通河川だというのだから驚きです。
※注 「普通河川」 市町村長が市町村の条例に基づいて管理する河川。


なぜ「盗人川」という名前になったのかは、

(1) 昔、田んぼに引く水をこの川から盗んだらしい
(2) 罪人の首切り塚があったらしい
(3) 地上にでたり地下にもぐったりして盗人っぽい
(4) ちぎれた小指が流れてきたらしい
(5) 盗んできたバッテリーでうなぎを採った
 …他々

 諸説云々あるのですが、どの説が本当かは解っていません。

 

〜町会長になって(2)〜

中澤 滋

 2006年3月31日は組長引き継ぎ会議でした。新旧組長が集まり役毎に引き継ぎを行い、私は前町会長から10項目ほどの申し送りを受けました。また公民館分館長からも報告があり、役員ばかりが参加者する行事について、梓川地区全体の運動会は引き続き行うものの、町会のバス旅行と盆踊りはゼロからの見直しをするそうです。良いことです。

 さて引き継ぎが終わった段階で、私から皆さんへのお願いとしていつくか提案しました。まず「会議中のたばこの禁止」ですが、特に反対も無く、これはすんなりと了承されました。次は業者の依頼による通信販売の回覧です。申込受付と集金、とりまとめての業者渡し、後日の商品の届けなど、組長・町会長の負担も大きいことと、町会が特定の業者への便宜を図ることにもなるので、今年度から町会長から業者に説明して行わないことを始めてみたい、との話も了解してもらいました。

 また私たちの町会ではなぜか1月1日に新年会を行っているのですが、それぞれ家族で楽しむ元旦に行うことに疑問を感じていました。そこで皆さんに聞くと、どうもこれといった客観的理由がないようなので、夏頃に検討することにしました。

 あとはお祭りのこと。
 町会長の私は祭典委員長に指名されるため、氏子総代から受けた次回祭典委員会のスケジュールに合わせて決めなければならないことや、各組長の役割分担などを決めました。ただ嬉しいことに「町会長はいろいろ分からないらしい」との判断か、氏子総代が3ページにわたる「祭典委員会のマニュアル」を作ってくれました。これで何とかいけそうです。

 さて後日の4月3日のこと、組長引継会に欠席した人がいたので引継会の記録を作成、そして新年度の組長・役員名簿も作成したので全組長に配ることにしました。しかし車で回るよりは、地区のことを良く知らないので、歩いてみることにしました。
 東西に3キロちょっと、南北に500メートルほどの地区ですが、これがいざ歩いてみると結構時間がかかりました。最近は表札を出さないお宅も多く、新しく移ってきた団地の人だけではなく、地の人の家でも結構多いのです。宮坂・伴・藤野・鰐川・樋口・岩原など同姓の家が多く、いまだに屋号で呼んだりする家もあるので、近所の人は表札がなくても誰も困らないのでしょう。

 私はといえば地図片手にうろうろ、どうしても分からないときは近所の人に聞きながらなので、家に戻ったときには3時間近くかかっていました。でも新しか、変わった木や花を植えているお宅など…。総じて地元の人たちの家は立派だ、ということも再確認しました。

 途中の道では知らない人も挨拶をしてくれて、どうやら相手は皆私のことを知っているようです。ま、私の風貌であればそうなのでしょうね。でもいつものことですが、相手の顔と名前が一致しないことがこれから増えそうで、失礼が無いかとそれが少し気掛かりです。

 さて4月5日の夕方5時半頃ですが、役所の総務課から電話があり、今日工事が終わった消防団詰所の解体撤去工事のあと、公民館の水道メーターが回り続けている、というのです。
 それで私に見に行ってもらいたい、という内容ですが、どの程度の流量が漏れているのかは、分からないといい、私が「撤去作業での不手際が一番怪しいが、それはどうなのか」と聞くと、「そんなことはあり得ません」などというのです。

 しょうがないので、前町会長と一緒に見に行ったところ、閉じてあった元栓のレバーを倒すと「シューっ」という音とともにメーターがぐるぐる回るではありませんか。これは通常の漏水ではなく、工事の際の水道管の破断であることは一目瞭然です。職員が「あり得ません」などと偉そうに言ったのは何を根拠にしていたのでしょう、まったく…。

 早速担当者に連絡し、何とかするよう指示したところ、次の日に専門の人間を行かせてチェックする、ということでした。
 で、次の日ですが、午前中に何も連絡が無かったので、「進捗くらい連絡できないのか!」と怒った私は、総務課長に電話で、前日のことについて「業者の言葉だけを信じて、現場を見もしないで町会長を確認作業に当たらせるというのはどういうことか」としかりつけました。
 その後担当者から電話があり、業者に連絡をしたものの、他の場所の解体工事があるので修理はいつになるか分からない、とのんきなことを言うではありませんか。こちらは「公民館は8日に祭典委員会があるので絶対に水道は直っていなければならない」、「業者の行っている解体作業が1日遅れようが、業者の責任でやらせなさい」と言ったものの、どうも相手に緊迫感が無いのが気に障ります。

 そこで私は直接役所に出向き総務課長を呼び出し、今回の顛末・担当職員の顧客の立場を考えない非常識さを言い、適切な教育が行われているのかを問いただし、発注者である役所が行うべき工事の出来栄え確認の責任が感じられないことも強い口調でまくしたて、その上で「絶対に直してもらわなければ困る」と言い残して帰ってきました。
まったく税金の無駄使いというか、こんな職員がいること自体考えられないものです。企業の人間だったら「自分たちの不手際でお客さんが困っているのだから、徹夜してでも直せ!」と業者に言うでしょうに…。おかげで1日腹立たしい気分でした。もちろん次の日に私の立ち合いのもと業者が確認、すぐに工事が始まりました。

 さて4月7日は梓川地区の全町会長31名が集まる町会長連合会の会議があったので、出かけてきました。他町会では2年目の町会長がほとんどでお互い顔見知り同士が多い中、私は知らない顔ばかり…。
 三役が決まり議事が始まりましたが、事務局の用意した資料に沿っての話しで、2、3名の意見が出る程度。委員長も変わったことをしたくないような話しぶりで、これではダメです。私は4回ほど発言したので、顔は覚えてもらえたでしょう。

 その後は近くの梓水苑で懇親会があり、私も初めてなので出席しました。会場に着くと、既に仲の良い?人たちはそれぞれのテーブルに座っていて、私は空き席の多いテーブルへ。そして後から来た若い人達を「こちらにどうぞ」と誘い、“偉いさん“が来ないようにしました。でもお酒が入ると、皆さん陽気で個々の話が弾んでくれば、特に悪者はいないようです。そして町会のことを真剣に考えている人がほとんどで、なにやらホッとしました。

 さてこんな調子で書いていると、この連載はいつまで経っても終わりそうもないので、少し短くまとめながらいくことにしましょう。

 4月8日祭典委員会が無事終了。9日は山車などを飾り付ける「花」を準備する花巻について、段取りを良く知っている人に協力を要請。同日、氏子総代が来宅したので、通帳から引き出すときは名義変更が必要なことなどの説明をしました。

 この日はそれから前町会長が来宅して箱3つの引継資料を置いていき、前祭典委員長も来宅して箱1つの資料を置いていきました。(これまでの説明からふと感じた方がいると思いますが、2005年度は町会長と祭典委員長が別の人だったのです。これには訳があり、当地区では1号から3号組は鞠子社という神社のお祭りを持っていて、そのため大宮熱田神社のお祭りは4号から18号組で行うのです。もし1号から3号組で町会長が出た年は、大宮の祭典委員長は兼任できないので別の人が行うのです。)

 さてこれも同じ日ですが、祭典に関わるスケジュール等の「お知らせ」を作成したので、各組回覧用として連絡員に配りました。(連絡員というのは、町会長が18の組長に配るのは大変なので、4つのグループに分けたそれぞれの担当者です。つまり、町会長→連絡員4名→組長18名→全188戸、といった具合に届けられるのです。他の町会長に聞いたところによると、40から70戸程度の小さな町会は、町会長が各組長に配ったり、副町会長と2名で全戸に配るところもあるようです。

 さて大宮熱田神社の祭典関係ですが、この後は割愛し、毎月の組長会と町会長連合会会議も特に話題がなければ省略することにします。

 4月16日、前もって支所から衛生部長と一緒に軽トラで運んでおいた緑化木(申請しておくと無料で地区に配られるものです)の植え付けですが、作業前に近所の住民に声を掛けて、取り合えず5名確保して作業開始、30分ほどで終了しました。

 4月16日は組長会、明けて次の日は道路愛護採石敷設の作業がありました。平日のために参加者が確保できないので、私と副町会長、衛生部長の3人で行いました。市道など未舗装区間に採石砂利を敷設する作業で、要望のあった場所にダンプが採石砂利を運んできて、私達地元の人間が場所や量など指示しておろしてもらい、うまく敷設できないところは手作業でならすものです。
 まずは公民館横の通りにトラック3台分を入れますが、最初のトラックは公民館の前と横の通りに入れてもらいました。

 そのトラックが帰り、次のが来るまでに砂利をならして、少し時間があるときが休憩時間。公民館の裏手の駐車場のぬかるむところにも置いてもらいましたが、これらが中々の大仕事。息も上がり、皆さん苦しそう。大体できたところで、運良く近所の方から差し入れがあり、ビールとおつまみで、しばしの休憩。

 次の場所は直線で、トラックの運転手も慣れてきたのか、ザーッと流して走っていった後はほとんど手作業の必要はなく、これは助かりました。
 3カ所目は近くの住人が出てきて、「自分でできるから」といってくれたので、トラック3台分を入れてもらうことを運転手に告げて、残り1カ所は私の家の近くなので私が担当することにして、他の人は自宅へ戻りました。結局敷設が全て終了したのは午後1時過ぎでした。なかなか大変なものでしたが、後日会計から3000円の日当が出ました。

 衛生部長の都合が悪いので、5月3日は私が容器包装プラスチック回収後のゴミステーション巡りをしました。私が8時45分頃出ると最初のステーションは既に回収済み。次のステーションはまさに回収中。「特に問題はありませんか」と大声で叫ぶと、「問題ありません」との答え。次のステーションでは、回収トラックの後ろにつけて待機。問題ない様子で、次の公民館前のステーションへ行く。丁寧に一袋ずつ確認して収集車に入れますが、分別が間違っているカップが入っているとのこと。それでも「大したことないから持っていきますよ」とのこと。

 最後のステーションでは、CDのケースやプラ製のしゃもじがありましたが、それらも「大した問題じゃないから」といって持っていってくれました。色々話を聞くと、クリーンセンターで嫌味を言われるものの、分別の方法が変わったため、地域の人たちの混乱を招くよりも、多少緩い基準を考えている、というのです。でも紙は入れたらいけないことはすぐに分かるので、いい訳が効かないからその袋は置いていくしかない、とのことでした。

 さて、当初から町会長の仕事については作業・拘束時間を記録してきましたが、4月は16時間、そして祭典関係は33時間もありました。(つづく)

 

〜倶楽部ノートから〜

 2007年2月4日 塩谷 健樹

我家の大ニュース 新聞記者取材顛末記

 昨年11月初め中澤さんより読売新聞の取材申込みがあり、条件に合うのが私たちとのことで連絡があり、取材に応じる旨返答する。

 11月20日前後、読売新聞記者の方が訪問。団塊世代の定年退職後信州移住についての特集記事を書く旨説明があった。

 紋切り型の質問があり、われわれの家族の概要などを説明する。記者の方の質問に応じ一昨年の3月に安曇野に移住して来てからのこと、最初に迎えた越冬のことを話す。特に私が「こちらにきて四十数年振りに長靴を履いたこと、そして長靴を履いて何所にでも行けるんですよね。」と言った言葉がすごく気に入ったらしくメモを取り何度か「長靴でね…」と感心していたのにはひそかに私自身も驚いてしまった。

 話し(質問が中心)は2時間に及び何故東京を離れ信州に来たのか、信州に住んで感じたことは何か、など聞かれ、学生時代から信州に来る機会が多かったこと、新・信州人倶楽部を知って「信州で暮らしませんか?」を読み、それが移住の決断になったことを、ことこまかに説明した。

 一方信州に映ってきてから感じたことを率直に話しをした。特に商店の客への対応がよろしくない、飲食店の味、ボリュームも価格は大都市並みだが悪い、さらにこちらに来て農産物に農薬・化学肥料がこんなに多量に使われていることに驚いたことなどを話した。

 以上のようなことでプレインタビューは終了したのである。何でも何人かのプレインタビューをして本インタビューをするかどうかを詮議の上にのせるのだそうです。
12月の20日頃になり私たち夫婦のことを記事に載せることが決まった旨連絡があり、その2〜3日後に本インタビューを受けることになった。

 なんといっても私たち自身読売新聞をとっていないので、どのような紙面の記事なのかも分からずにインタビューに応じる。
 
 内容は前回プレインタビューの内容の確認と更に詳細に私達の家族のこと、特に義父母の介護、妻の両親の死後の体調不良などについて話すこととなった。相手もかなり真剣に切込んでくるので、受ける私達も率直に隠すことなく返答を繰り返した。後で振り返るとこんなに露呈していいのかなあと自問した程である。そのような質疑の中で何度も「何故信州に移住されたのですか」と質問を受けた。

 今考えてみると本当に何で信州でなきゃならないのかなあと自問してしまう。
約4〜5時間のインタビューが終り20枚位のスナップ写真を撮りインタビューは終了した。その後2、3度電話で確認(質問)があり年末を迎えることとなった。子供達や私の兄弟達には取材があったことは伝えてあったが何時どこの紙面に載るのかも聞くに聞けず年を越すはめとなってしまった。


 年が明け1月7日、突然読売新聞の記者の方から電話があり、翌8日に写真を取り直しに伺いたい旨連絡を受ける。翌日再撮影、そして聞くと9日に載ると云う。早速子供達に電話やメールで連絡、そして翌日四分の一ページの写真入りの記事にびっくりでした。

 しかしながら電話取材を含め8〜9時間に及んだものが活字になるとこれだけに集約されるものかと感心するばかりでした。確かにノンフィクション作家になれば200〜300時間かけたものが1つの単行本になるというのも納得出来た次第です。
メールで連絡したせいか家族や友人からの反響が多く、今もって「田舎暮らしの素晴らしさ」を伝えています。

 この記事は讀売新聞の「信州セカンドライフ」というコーナーで紹介されています。

2007年2月21日 チョコ

 雪の少ない冬に驚きつつ、雪かきからまぬがれありがたがっています。
長野に来てから13年目に突入! 実に様々なことがありました。それまでの人生全てと比べてもこの10数年の方がドラマチック(あくまでも私の感想ですが)な出来事が続いています。

 まず車での事故多発。こちらに来て2か月目、オートマ車の制御がきかなくなり、停まっているトラクターにぶつかり停止。車はエンジンがこわれて廃車。買いかえた車は横転〜。信号待ち中、後に70kmで突っ込まれ…。今度こそ!の車も昨年末、横から飛び出して来た車と接触の挙句、カーブミラーに激突して廃車…。その間、コンビニで後を確認せずバックした車にぶつかられているし、何と車での事故の多いこと! その上やっと買った軽トラも、貸した人が運転中、信号のない交差点をいきなり右折した車にぶつかり廃車。こちらに来て今度の車で5台目になります。

 新車はどうも廃車になる運命らしいと、中古車にしました。今度こそ寿命の尽きるまでお付き合いしたいと思っています。
 妹から「長野へ行ってからユニークな人達に出会っているね〜!」と感心されます。そう言われてみると皆さん個性的です。地元の方でも仲良くなる方々はやはり一味違ったものを持っています。

 さて、近況報告。ここで極め付けの激変!
 私の人生の中でいくら想像力を働かせ、そして拡げてみても入っていなかった接客業を始めることになりました。「お店探し手伝って」と年末に頼まれ、とうとう焼肉屋のおばさんをやることになってしまいました。

 今日もこれから店舗改装の立ち合いに出掛けます。手伝うよと娘達(孫と毎日会える)も帰って来てしまったし…。想定外の転回。アレッ、展開? どっちかと言うと回ってしまっている感じ。

 茅野においでの折には焼肉『えん』に是非お立ち寄り下さい。
 電話番号も決まりました。73−1729。
 頭をひねって何とか良いゴロ合わせをしたい。29はニクでいいけど、その前がうまくいかない。

2007年4月9日 中澤 滋

 先日急に思い立ち、須坂市動物園に行ってきました。もちろんお目当てはアカカンガルーのハッチで、奥さんのクララと子供も増えた一家に会いに行ったのです。私たちにとって久しぶりの動物園でしたが、平日にも関わらず来園者は結構いました。入園料が大人200円、子ども70円ということから、市民が家族連れで頻々に遊びにきているようです。 私たちはゲートから水族館とミニブタやポニーのいるところとは逆の左方向に進み、途中の動物を見ながら15分ほどでハッチのところに到着しました。

 見物人は5、6名で、人だかりがしてなくて良かったのですが、3匹ともに寝ているのです。説明を読んでみると朝の食事時から午前中が活発で、その後は夕方の食事時となるとのこと。しかも天気の良い日は寝てばかりのようで曇りの日が活発だということです。
 天気の良いお昼過ぎだったので、どうもサンドバッグと遊ぶ姿は見られそうにありません。それでもたまにごろりと
向きを変えるなどして愛嬌のある顔は、皆の人気になることが十分わかります。
 
  飼育員の人が、ジョウロで砂地に水をまいていましたが、なんと60歳前後のおばさん4人組みの中の一人が、ハッチが動かないのでつまらないのか「(水を)ハッチにかけたら?」とその飼育員に言うと、彼は怒ったように「そんな危ないことはできないよ」「もっと勉強して来なさい」と言うのです。もっともなことで、全くふざけた女がいるものです。

 どこにもいますが、観光客というのはこんな人が多いのでしょうね。自分の欲求だけ満たすのが大事で、動物園という環境を維持している背景や動物そのものを理解しようとせず、ただパフォーマンスを期待しているだけの浅はかな人達なのです。 

 さて臥竜公園の一角にある動物園ですが、再入場できるので公園の池の辺りを散策、まだ桜は早かったのですが、なかなかよいところです。そしてまた動物園に戻りハッチのところまでいくと、今度は3匹の場所が少し変わっていて、カメラにうまく収まってくれました。

 ところで長野県には5つの動物園があるのですが、小諸市動物園 、須坂市動物園、長野市城山動物園 、長野市茶臼山動物園と北のほうに4つもあり、南には飯田市動物園があります。それなのに何で松本地域には無いのでしょう。アルプス公園にある「小鳥と小動物の森」に動物は少しいますが、規模が違いすぎます。動物園の好きな私たちには不思議でなりません。



編集後記

 松本市が市政施行100周年を迎えました。松本駅の改築や平田駅の開業、アルプス公園の拡張等の大型事業が完成し、市民主体の様々なイベントも企画されています。又、市民活動の支援や交流居住の促進にも積極的に取組みはじめ、総務省の移住支援ポータルサイト「交流居住のススメ」で全国一のアクセスとなる等、成果も出始めています。
最近松本市の職員と打合せる機会がありましたが、従来とは異なる意欲的な姿がとても新鮮に感じました。新市長が誕生して3年が経ち、100周年という節目を迎えて、市職員も前向きになっているようです。100周年が一過性のイベントで終わることなく、この流れが継続していくことを強く期待したいですね。(宮)

 安曇野界隈で桜の名所として有名な光城山。今年は餌不足だった鳥類の花芽を食べる被害が酷かったらしく、パッとしない開花状況になってしまったようです。山の麓から頂にかけてそこだけ一列に桜色で際立って見えるのを穂高の街中から遠望するのが良かったのですが、残念。ただ夜間の照明点灯は例年通り行われていて、一筋の光の帯が麓から頂に向かって駆け登って行くさまを眺めるのが、昼間の桜の遠望とはまた一味違った密かな夜の楽しみで、ちょっとしたマイブームになっています。(高)

 5月13日、会報の編集作業をしていると朝から外が騒がしいのです。外をのぞくと町会内の公園の草取り隊が作業を終えて帰っていくようです。それからしばらくすると今度もざわざわした声が聞こえてきて、一向に途切れる様子もありません。まあ余り気にならないのでそのままにしていましたが、お茶を飲みに1階に行ったとき、自宅の前の梓川の堤防を大勢の人がリュックを担いで歩いているのを見ました。
 「あ、そうか!今日は梓川・水ウォークだったんだ」と合点しました。新緑の中、市街地や都会に住んでいる人にとっては、梓川を巡るウォーキングは何よりのコースです。思えばまだ家ができる前、仮住まいの松本(岡田)から建築中の家をチェックしによく来ていて、あるときは近所の河原で夫婦・母といっしょにお弁当を食べたことがあります。今では当たり前なってしまったこの自然環境ですが、お気に入りの野鳥のフィールドにも歩いていけるし、なんと贅沢なことなのでしょう。あらためて感じ入る次第です。(中)

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