Iターンネットワーク

新・信州人倶楽部


▲▲▲ 新・信州人倶楽部報 ▲▲▲



第59号

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〜おしらせ〜

忘年会のお知らせ


 今年の忘年会は12月8日(土)に、例年のように泊まりがけで行います。昨年利用した梓水苑の予約は取れませんでしたが、多くの方の参加をお待ちしています。
●日時 12月8(土)〜9日(日)
●場所 宿泊:ビレッジ安曇野
Tel:0263-72-8568
●宴会 12月8日 午後6時開始
●会費 宿泊 : 11,000円(1泊2食付)
日帰り: 6,000円 (宴会)
※お酒を飲む人は別途 1,000円必要です。
●申込 中澤まで
締切り:11月17日
ビレッジ安曇野では、混雑期の利用は1室3名から4名を標準としています。そのため当日は男性・女性に分かれて部屋割りすることになりますが、ご了承ください。


2007年Iターン松本相談会報告

 倶楽部主催・松本市共催によるIターン相談会が、10月27日(土)に松本市中央公民館(Mウイング)で開催されました。
今年は20代から30代の若い参加者が多く、7名・家族の皆さん、とても真剣で有意義な相談会でした。熱心な相談で、開催時間は少し延びて午後2時半頃までかかりました。

  子育て真っ最中のお母さんの保育所についての相談、新規就農希望、林業希望の方など具体的な質問も多く、倶楽部事務局3名と市の職員3名がペアになり、それぞれ1時間から1時間半くらいの時間で応対しました。

 雨の中、松本まで相談しに来た方々の熱心さを見て、Iターンを目指す現役世代のサポートの必要性を感じました。また今回共催頂いた松本市の政策課には、案内看板や受付票・アンケートなどの制作もして頂き、とても感謝しています。(中澤)

◆◆◆

 告知が会員向けに限定されていた昨年とは異なり、今年は松本市が共催ということもあって告知が一般にも行われたわけですが、応対する側のキャパシティーから考えると程よい相談者数となって良い感じだったかなと思いました。

 私が応対させて頂いたのは2組でした。どちらにも共通していたのは地元情報の収集手段についての悩み。とくに2組とも30代と比較的若い世代なので、やはり就職先に関する情報収集の手段という点が一番の関心事のようでした。ただ、両組ともに非常にアクティブに情報収集を行いつつも、思慮深く地に足をつけて色んな可能性を探っていらっしゃる様子だったのが印象的で、応対した私のほうも逆に安心して話し相手になることが出来ました。(高松)

◆◆◆

 私は午後仕事があったので、午前中のみ約1時間半の相談でした。松本から大町あたりまで広範囲に検討している40代の男性で、地域による気象や慣習の違いや学校のこと等が主な内容でした。市の担当者としては、どうしても市内への移住を勧めたいという意向が強くはたらいてしまうため、なるべく客観的に話しをするように心がけました。市との共催の場合のひとつの課題かもしれません。一方で共催することで相談者の安心感が高まるという面もあります。松本市との共催をきっかけに、他の自治体との連携も深めていければ良いですね。(宮崎)

〜中信地区例会報告〜

万水川の自然・歴史探訪と蕎麦打ち体験

塩谷 健樹

 安曇野には多くのウォーキングコースがありますが、今回は中信地区の企画で「万水川の自然・歴史探訪と蕎麦打ち体験」を実施いたしました。

 10月11日安曇野市豊科重柳のビレッジ安曇野に集合、参加者13名。地元の重野昭茂先生の案内で安曇野の原点とも言うべき矢原・白金・等々力地区を歩きました。

 最初につりがね草の咲いている水郷公園「憩いの池」(北アルプスの雪解け水が地下水となり湧き出ている池)からスタート。この地域一帯は以前には1メートル地面を掘ると地下水が湧き出たそうで山葵畑が広がっていたそうです。安曇野の地下水の埋蔵量が諏訪湖の約100倍の埋蔵量があると聞きさらに驚きました。

 次に安曇野の原点ともなっている矢原地区を探索。屋敷林が多く、矢原神明宮、矢原地区で発掘された遺跡の出土品を見ながら安曇野の地層・歴史を学びました。この地域は埋蔵文化財保留地に指定されていてむやみに掘削できないとのことでした。

 また作家故臼井吉見の「安曇野」に登場する人物の生まれ育った所で「あ〜っ、この家があの庄屋の家ですか」など本を読んだ方は盛んに感心していました。

 その登場人物の荻原碌山(彫刻家)の生家とそのお墓を訪ね、そして次の目的地の井口喜源治と伴に人間育成した研成義塾を創設した相馬愛蔵(新宿中村屋創設者でもある)の生家では、特別に室内に上げていただきました。妻の黒光が嫁入り時に持参した絵画(碌山に影響を与えた)なども見せていただきました。途中栗を拾ったり、道祖神を観察しました。

 昼は「こねこねハウス」で4グループに別れ蕎麦打ちに挑戦しました。新そば粉と地粉をやさしく混ぜながら水を加えさらに丁寧に丁寧に綿飴を作るようにやさしく手で攪拌します。皆さん真剣に作業をしていました。その後は力仕事の「こねこね」で美味しそうな大きな蕎麦団子を作り上げました。

 そして一番難しい「のし」です。各グループ破けないように薄く伸ばすのに苦労をして、薄さを競い合っていました。最後は「そば切り」で、これも「太い、不揃いだ」などと言い合って自分たちの打った蕎麦が一番と、それぞれが確信し蕎麦打ちを終えました。

 昼食はもちろん自分たちが苦労して打った出来立ての新蕎麦に舌鼓を打ち堪能しました。

 その後、等々力家屋敷、等々力城跡地、早春賦の碑などを見て万水川沿い(日本の原風景を残している一番安曇野らしいコース)を広葉樹林帯の落ち葉を踏みしめながら、皆で無事集合地のビレッジ安曇野まで戻り、お茶を飲んだ後散会しました。

 安曇野の歴史と風土をのんびりと学べた、秋の一日でした。

〜リレーコラム〜安曇野編(2)〜

高松 伸幸

 前号よりスタートしたリレーコラム。今回はわたくし、安曇野は穂高に暮らし始めて10年目の高松が担当します。


 安曇野という言葉を耳にして、皆さんはどのようなことをイメージされるでしょうか?「北アルプスの眺望と田園風景」「わさび田」「森の中に点在する美術館や小洒落たカフェ」「清らかな水の流れと水車小屋」などなど。たしかにどれをとっても安曇野を象徴する素敵な風景であることに違いないと思います。

 一方で安曇野はそうした環境イメージの良さに加え、前回コラムで宮?さんが指摘した「田舎的暮らし」の条件に恵まれた地域ということもあり、大都市圏の人々を中心に居住エリアとして人気が高まり、地域外からの流入人口が急激に増加し、宅地や商業地の開発が急速に進行した地域ともなっています。

 そうした居住人口の増加に伴う開発行為は安曇野における都市生活の利便性を格段に向上させました。国道や広域農道などの幹線沿いに大型商業施設が建ち並び、車社会という枠組みのなかで考えれば、見方によっては松本市街地の道路の狭いエリアなどよりも快適だと考えられなくもありません。

 しかしながら、そうした現在進行形の安曇野地域の開発行為は、必ずしも適切に誘導・コントロールされたものとはなっていないのが現状で、旧豊科町地域における都市計画法上の“線引き制度”や旧穂高町における“まちづくり条例”などの一定基準が存在するとはいえ、全体としてみれば開発規制に対する施策が不十分との感が否めず、それは昨年実施された安曇野市民対象のアンケート調査においても、市民の過半数が厳しい規制による環境保全を求めているという結果が出たことによっても裏付けられている危機感ある現状となっています。

 ただ、同時にアンケート調査では秩序ある開発による環境保全を訴えている人が市民の9割以上居るという結果も提示されました。これはただやみくもに開発規制をするのではなく、地域らしさ溢れる開発誘導を行わなくてはならないという市民の思いの表れともいえるでしょう。

 田園風景を構成する田や畑もかつてはそれ自体が紛う方なき開発行為であったわけですが、アルプスの峰峰を背景に広がるそれらは現代の安曇野の重要な構成要素となっています。そこから感じられる匂い・色・地域に暮らす人々の息づかいといった田園を取り巻く生活環境全体が、長い年月を経て“安曇野のアイデンティティー”を知らず知らずのうちに形作ってきていたのだといえるでしょう。

 社会が急速に発達し、安曇野以外の地域との関わりが過去のそれと比較にならぬほど密接且つ混沌とし、新旧住民の多様な価値観や安曇野らしい開発のあり方を深く掘り下げることなく進出した企業などが混在し、安曇野本来のアイデンティティーが見失われつつある今、本来あるべき安曇野らしさを継承できる、また新しい安曇野スタイルの構成要素となりえる土地利用の方法や地域づくりが望まれるところです。

 すでに市民レベルでは安曇野という地域らしさを考え、環境や景観形成などに取り組む具体的な活動を実践している人達も目立つようになってきました。また安曇野市行政としても新市誕生から丸2年が経過し、一刻も早い環境施策の実施や土地利用制度の統一を含めた安曇野らしい開発誘導と規制などの策定を急いでいるところです。

 また冒頭に書いた安曇野らしさ溢れる風景に密接に関わってくる景観問題については、近い時点で安曇野市が景観行政団体に名乗りを上げることがもはや既定路線となっており、景観法に基づいた景観計画の策定などが今後急ピッチで進められて行くことになりそうです。

 これまでは在って当たり前だった優れた環境が、じつは決して当たり前の存在ではないのだということ。そのことに改めて思いを致しつつ、安曇野らしい環境のあり方を考え、地域住民一人一人が「安曇野らしさとはなにか?」「そこに暮らす私たちは安曇野をどう考え、いかに暮らしていくべきか?」を真剣に考えることが肝要ではないでしょうか。

 決して闇雲に自然保護を感情的に訴えるのではなく、安曇野という地域らしさ溢れる開発と自然環境・生活環境の形成、そして安曇野らしい景観・風景のあり方の検討。抱える問題は簡単ではないですが、私も一市民として自分の暮らす地域のまちづくりを真剣に考え、そして実践して行かねばと思います。

 少なくとも安曇野の環境に魅入られた私たちの移住行為そのものが安曇野らしさ溢れる豊かな環境を壊す要因になってしまうような、そんな本末転倒の事態にならぬよう心して生活せねばと思う次第です。

〜町会長になって(4)〜

中澤 滋

 10月1日はゴミゼロ運動です。6時20分公民館前に集合し、ゴミを拾いにそれぞれ好きな方向に分散していき、約1時間半くらいで大量のゴミが集まりました。私の収穫物ですが、缶類、ビニール類は相変わらずですが、水路にあった大人用のオムツには驚きでした。主水路から分かれてくる場所なので、大体犯人がわかってしまうのにどうなっているのでしょう。

 さて次の日は地区の「防犯灯数と場所」のレポート提出期限なので、未確認の数カ所を回りレポートの作成です。中部電力のデータと食い違うところには、数年前に新設されたところが反映されていない、主要地方道の街灯に変更工事したところが、防犯灯リストに残ったままだったりと、結構いい加減なものです。

 新設、撤去時の情報をデータベース上に反映するだけだと思うのですが、それができてないようでは困ります。そこで書類を提出するときに、支所の担当者に色々訪ねてみると、「中電では、過去にこのような作業をしたことがなかったようだ」とのことです。企業としては大きいものの、末端の作業実施状況などの管理は中小の会社程度なのかも知れません。本来は中電のデータを町会で確認するだけで良いのに、あまりにも相違点が多すぎたための作業でした。今後このような町会の負担はもう二度としたくないことを申し入れました。最終的に私が全ての防犯灯を確認せざるを得なかったため、8時間程度はこのために費やしたようです。

 10月7日は2号組と3号組の合併の話し合いに、オブザーバーとして当事者会議に参加です。進行上私がまとめ役みたいになりましたが、多数決で決める問題ではないので、各人の誤解や抱えている問題を出しきってもらい、全員合意の上、来年4月から実施できるよう、これから何回か話し合いを続けてもらいたいとし、終了しました。

 10月15日は運動会です。今年度から運動会は町会行事となったのですが、準備から慰労会まで全て公民館分館役員の方々の働きでした。そのことが申し訳なかったので会計と相談して、協力金として1万円を分館に納めました。

 さて10月19日は私が依頼した、公民館の耐震診断の打ち合わせに出かけました。私達の公民館は昭和23年築の、梓川でも最も古い建物の一つです。15年前私が組長のとき、老朽化の進行度を確認するため大工に梁など調査をしてもらったことがあり、そのときはしばらく大丈夫、との報告を受けていました。

 最近は耐震基準が見直され個人の家でも調査する時代のため、公民館の耐震性能を確認する目的で、無料で行ってくれるという業者を探して行ったものです。

 さて11月の診断日の様子は、簡易診断であるということと、現在の建築基準には合わないことは承知の上でしたが、基礎回りの問題がないこと、また屋根の歪みなどが無いため、大地震が無ければ大丈夫そうでした。後日報告書を受け取りましたが、耐震性能はあまり良くないという評価ですが、こんなものでしょう。

 10月22日は山田杯ハーフマラソンがありますが、20日の朝に自宅玄関先に信毎の「手旗」の束がいくつか置いてあり、早速支所教育課に確認すると、山田杯用とのことです。事前に連絡すべきことと思ったのですが、怒ってもしょうがないので早速町会の人々に配りました。

 22日の当日は朝9時半頃から応援、11時過ぎに帰ってきましたが、その臨場感は20年以上前に横浜・鶴見中継所で応援した、新春恒例の箱根駅伝を思い出しました。

 6日の夕方、支所経済課の職員が訪ねてきて、町会内で熊の目撃情報があったとのこと、早速組長全員に電話で連絡して、組下に注意を促すよう依頼しました。その後熊に関する情報が多く伝えられ、町会便りなどで住民の注意を促すことが続きました。

 その後は月2回の広報等配付物、月1回の町会便り、連合会会議などいつもの町会長の仕事をすると、もう年末です。町会長の年末の仕事は公民館と近くの神社の正月飾りをつけること、と聞いたので早速ホームセンターで必要なものを購入、説明図を見ながら何とか形を作りました。

 正月を迎え、21日は住民集会と新年会を開き、町会規約制定のための委員会設置と、自主防災組織立ち上げの委員会設置を申し出て、了承を得ました。

 もう何年も住民集会が無かったので、これを機に毎年行ってもらいたいですが、今後町会規約にのっとった総会をすることになるので、問題はないでしょう。

 そして元旦の新年会を廃止して別の日にしたのですが、特に問題とする人はいなくて、これも今後の道順ができました。

 さて2月8日はあらかじめ探しておいた防災設備会社に公民館に来てもらい、毎年度の防災設備の確認・メンテに必要な見積もりを取るための簡単な調査をしてもらいました。現在の建物の規模では一般的には3万円くらいとの話でしたが、2万円でお願いすることができました。

 ところで業者の訪問日前日、私が館内の消火器の点検をしたところ3台全てがとても古く、1つは1978年製造のものまであり、あまりにも恥ずかしいので、業者に見られないよう、すぐに新しい消火器を購入、交換しておきました。

 今まで毎年消防署からの改善文書を受けていたはずで、このくらい町会長が買い揃えなければならないのですが、まったく何をしていたのでしょう。

 2月22日の点検には私が立ち合いましたが、今まで長い間点検をしなかったため、いろいろ出てきました。
 まず、非常口の標識3個所に明かりがつかないので、それの点検・調整です。
 次に2個所ある緊急警報装置が働かないので、点検・修理、2個所とも一次側(100ボルト)のヒューズが切れていたので、恐らく雷のサージで切れたとの説明でした。そのため内部のニッカド電池が充電されなくなり、この電池の交換が必要とのことです。

 さて2階の非常用の避難はしごの点検ですが、はしごの状態は良かったものの、実際に窓からは下ろせないことが判明しました。そうなのです。灯油庫が真下にあるのです!
 いつの頃か分かりませんが、灯油が盗まれることがあったようで、管理上小屋を建てて、そこに灯油タンクを移動したようです。そのときの町会役員の意識には、避難はしごの存在が全くなかったのでしょう。

 灯油庫を避けるため、西側の窓に付けることを考えたのですが、一階のひさしが出ているため、はしごの最下部と地面との距離が大きくて使用できないのです。新しくはしごを購入して、窓の外にある手すりの開閉部追加工事をすればいいのですが、避難時にひさしが壊れたことも考えられ、危険です。

 そこで業者と相談した結果、「灯油庫を移動するのが最も適当」との考えにいたりました。次年度トイレ水洗化工事を行うので、そのときに併せて灯油庫を移動するしかありません。

 さて消火器ですが、今までは一番容量の大きなものが台所に置かれていましたが、消防法で求められているのは、建物に対して設置されるもので、台所などは補助用の設備になるとのことでした。火を良く使う場所、ということで判断してはいけないとのことです。
  そこで一番広い1階の大広間に大きい消火器、台所と2階に小型の消火器を置くことにし、それぞれの場所と番号が台帳に記帳されました。

 消防法が何回か改正になったとき、そのつど設備を更新しただけで、その後の点検をしなかったため今回はいろいろありました。今後は毎年この業者にきてもらうので、忘れることはないでしょう。

 さていよいよ最終月の3月です。新旧組長会が3日に行われ、新しい町会長など19年度役員が決まりました。
 いつもながら町会長選出には長い時間がかかりましたが、なんとか決まりました。
人任せの人が多いため、一向に町会長が決まらない中「中澤さん、もう一期できませんか?」などという人もでてくるのです。

 私は思わず「この町会では、組長による互選、ということで何十年も続いてきているもので、次年度の組長会で町会長を決めることは周知のことで、皆さんに責任がある。今日決まらなければ別の日に再度会議を持つことになるが、そんなふがいないことが住民に知れて恥ずかしくないのですか、後々『19年度組長会は…』と言われ続けることになりますよ」ときつく言ったものです。

 また地区に居住している期間が短いことを理由にするのならまだしも、「私はIターン者だからできない」などという人もでる始末。これには呆れて「私もIターン者です!!」と一喝しましたが、まったくひどいものです。

 さていよいよ私の町会長の仕事も残すところ後わずか、次年度町会長への引き継ぎ書類の作成くらいでしたが、公民館の下水道化事業には土地と建物の所有者の把握が必要だと考えて確認したところ、問題発生です。

 土地は森林組合の所有ということが分かりましたが、建物の所有者は不明なのです。そこで法務局に登記簿確認に行ったのですが、公民館の住所による検索では、「なし」としか出ません。つまり登記されてない建物なのです。

 年度が替わり、次期町会長がいろいろ調べたところ、松本市の補助金を受けるには「地縁による団体」として登録、そして所有権登記などを行う必要があることが判明しましたが、これからもいろいろ出てくるでしょうね。


 皆さんの住んでいる町会などではこんなことは無いとは思いますが、我が町会の少し恥ずかしい所をお見せした連載でした。


 町会長になって感じた今までの町会のいい加減さ・ふがいないことや、怒ったことはまだまだいっぱいあるのですが、きりがないのでここで終わりにします。会報4回の連載、最後までお読みくださりありがとうございました。



編集後記

 安曇野市が誕生して丸2年が経ちました。総合計画や環境基本計画等の素案もまとまり、土地利用計画の策定も大詰めを迎えています。計画づくりの段階を終え、いよいよ真価が問われる実行段階へと移りつつあります。
市町村合併が一段落し、道州制の議論も活発になりはじめています。真の地方分権を実現するためには、市民も従来の「お任せ・お願い」ではなく、「自立・行動」への転換を図らなければならないでしょう。対立からは何も生まれません。お互いを理解し、共に考え、そして行動することが求められているのだと思います。そのことを肝に銘じ、まずは市民一人一人ができることからはじめたいですね。(宮)


ここ数年、安曇野の秋の風物詩となりつつある『安曇野スタイル』。今年初めて私も出展者という立場で参加しました。建築設計という仕事の中で共同作業ともいうべきお付き合いをしている木工作家の方の作品展示。私の事務所をにわかギャラリーに変身させ、小さいながらも雰囲気のある展示会場を作ることが出来ました。事務所というより「倉庫か?」というほど物の溢れ返っている普段の様子からは想像もつかないほどすっきりキレイな我がオフィス。展示期間が終了後、元に戻したくなくなったのは言うまでもないことで…。(高)

 


今年の夏から夫婦で始めたウォーキングですが、双眼鏡・カメラを持っての、どちらかというとぶらぶら歩きです。大体時速5キロくらいですが、カワセミ、ヤマセミが出たり、ミサゴが出たり、ヒメグルミの収穫など結構とどまることもあります。そう、自然観察ウォーキングなのです。
毎日4、5キロですが、時間のあるときは波田側を新島々駅の先まで行き、帰路は梓川地区に渡るラウンドコース、倭橋を渡り波田を回るラウンドコース、徳本峠登山道入り口から島々谷川沿いを歩くコースなど、いずも10キロ以上です。
そうか、昔の人が普通にやっていた松本市街地まで歩くことも、大したこと無いようです。今度、松本駅まで歩いて行ってみようかな? もちろん帰りは電車ですが…。(中)

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会報目次

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