Iターンネットワーク

新・信州人倶楽部


▲▲▲ 新・信州人倶楽部報 ▲▲▲



第71号

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中澤 滋(松本市)
忘年会のお知らせ


 次回例会は、12月恒例の忘年会です。昨年あたりから梓水苑の食事の質が落ちてきたので、今年は同等の価格でより美味しい食事ができる場所、ということで大町市の「くろよんロイヤルホテル」にしてみました。
洋食と和食コースがありますが、今回は「吉兆」の忘年会プランを選びました。

スケジュールは次の通りです。
●日時:12月11日(土)PM7:00〜
●会場:大町くろよんロイヤルホテル
 Tel :0261-22-1530
    長野県大町市日向山高原
●会費(1名での料金)
11,800円 (宴会・宿泊・朝食込み)
6,300円 (日帰り宴会)
※お酒を飲む人は別途1,500円必要です。

 子供用の料理として、お子様お弁当(2,310円)、お子様点心(3,465円)も用意できますので、利用される方はお申し出ください。

●送迎について
 今回は降雪を考え、送迎バスを手配しました。松本合同庁舎駐車場17時00分発、池田町・道の駅「池田町ハーブセンター」駐車場(17時45分)経由の予定です。利用される方はお申し出ください。なお、日帰りの方の迎車はできますが、お送りすることはできませんので、ご承知おきください。

 美味しい食事と、久しぶりに会う会員との楽しい語らい、ゲームや二次会も企画していますので、皆様の参加をお願いします。

辻 正道(松本市)

郷土に“いいもの”発見!

〜丹波園部にて〜


 丹波の国は、山また山、幾重にも山がつらなる、山国です。ここ園部は、京都から北にのびる旧山陰街道の小さな城下町です。小社の企画『保存版 亀岡・南丹・京丹波の今昔』の仕事で来ています。

 今夜の泊まりは、その旧街道沿いの老舗旅館「合羽家(かっぱや)」です。名前が実にいいじゃないですか!「河童屋」じゃなく「合羽家」です。どこにでもあるビジネスホテルはやめ、どうせ泊まるなら地元らしい宿に泊まりたいものです。今日の泊り客は私一人のようです。

 街道に面した、格子戸と白壁の美しい玄関から中へ入りますと、奥へと続く細長い土間に坪庭、実に簡素で美しい空間が広がります。外は冷たい雨がしとしと降っています。今日から急に寒くなりました。今夜は、この広い屋敷で一人、雨の音を枕に秋の一夜をしみじみおくります。なんと静かな夜なのでしょう。

 翌朝、6時に起き、シャワーを浴び、颯爽と旧街道を散歩に出かけます。すると、昨夜は暗くて気づかなかったのですが、玄関の正面にりっぱな花がいけてあります。黄色い菊の花に、朱色の実がたわわについた柿が枝ごといけてあります。これぞ秋!という感じです。それがまた、この玄関の広い空間に実によく合っています。土間はきれいに掃除され、落ち葉ひとつ落ちていません。そしてまっすぐ奥へのびる、廊下と障子の線がすごくきれいです。

 古い家だけど、なにしろ外も中もきれいなのです。手入れが行き届いています。古い家できたないと最悪ですが、きれいだと品が出てきます。住む人の心をそのまま映しています。

 朝食をいただきながら、女将さんといろいろお話します。女将さんと言っても、もう、80を有に超えていそうな、いいおばあちゃんです。このおばあちゃんが一人で切り盛りされているようです。創業は江戸時代末ごろ、合羽家の名は、園部の殿様からつけてもらったという話で、この女将さんで4代目ということです。

 「古い写真、お持ちでないでしょうか。」 と、さっそく奥からアルバムが出てきました。かなり古いアルバムです。明治から大正の頃の宿の写真、女将さんのご主人さんのおばあさんの写真もあります。当時の園部の町並み、人物がよくわかります。朝から大発見!です。

 やっぱり、日本の宿はすばらしい!伝統と文化が静かに息づいています。そしてすばらしい出会いがあります!

ゆうじん(松本市)

「山」の連載コラム(5)

〜突如出現した、あるひとつの山〜


 いつもこの山のコラムを読んでいただきありがとうございます。
 この度は、山は山でもいつもとは趣を異にして、いきなり目の前に現れた山について書きたいと思います。

 10月17日の秋晴れの日曜日、地元松本市は梓川地区にて開催される、伝統の山田杯梓川ハーフマラソンを走ってきました。会報でも告知してたのでおぼえてる方もいらっしゃるかと思いますが、当倶楽部からはわかっているだけでも、中澤さん、辻さん、そして私たち夫婦が出場をきめてました。

 中澤さんは、夏の終わりごろから走りだしたのを聞いてましたが、練習中に膝を故障したらしく、残念ながらこの度は走れませんでした。しかし当日は朝からスタート地点まで応援にきていただき、嬉しかったです。

 さて、なぜ“山”なのかというと、このマラソンに対しては、ぜんぜん気合がはいってなかったので、自分のブログに書いてしまったのです。1時間40分を切る!と。それもレース2日前にです。精々がんばって2時間をなんとなく目指していた自分としては、2段3段うえのかなりチャレンジングなタイムでした。書いちゃいました…。

 はたして越えられるのか、その山を。もう時間はありません。しかし同時に、そのプレッシャーを楽しむこともまた面白いものでした。チャレンジも1段うえだと想定内、この度は想定外の目標なので、その二者のあいだで、本番中にどのような心理的作用をおよぼして、結果となってでてくるのか。

 スタートの号砲が澄んだ秋晴れの空に響きわたります。前から3番目に並んでしまった私は、そのスピードにすでに想定外です。躍動感も心拍数も、もうなんというかとんだ想定外です!完全にのまれました。

 じつは、マラソン初体験の妻はこの45分後にスタートする10キロレースを走ったのですが、このスタートの状況に同様にのまれて、1キロ地点で嘔吐したそうです。しかしなんとか正気をとりもどして完走しました。

 心拍数は自分にとってふだんレッドゾーンである180を超え、1キロも走ってないのにもうやめたい気分です。身体との対話がはじまります。ふっと楽になる瞬間もあります。3キロ地点あたりでしょうか、中澤さんが声援してくれています。

 私は、このような持久系をはじめて約2年。レースもなんどか出ましたが、いまだに避けてとおりたい道です。しかし、このような逃げ場のない追い込まれた瞬間に感じる心の状態とでもいうのか、これがレースの醍醐味だと思っています。たまにやるのんびり山行だけでは、決して出会えない自分のポテンシャルに、出会える瞬間です。

 その一瞬一瞬は人生においてのスパイス?それとももしや核心?いつかその瞬間をつかまえてまとめることができたらいいなと思います。

 「瞬間は愛なり」と聞いたことがあります。動物でもなんでも、親はなにも考えずに瞬間にして子を守ろうとしますよね。ちょっとマラソンとはあまり関係ないですね。しかし大げさかもしれませんが、身体もふくめて自分自身との信頼関係なくして、達しえない境地です。そんなにキレイなものじゃないですし、もうシワクチャのドロドロではありますが…。

 復路のラスト約3キロ地点には、往路同様に中澤さんが声援を送ってくれました。そのタイミングで当座のライバルを引き離しスパート。目標タイムを2分40秒短縮してゴールしました。
  今回の結果はたまたま吉とでましたが、そんなものはもはやどうでもいいですかね。

 10歳の長女が妻に言ったそうです。つぎはわたしもやっぱり走ろうかな、と。そして振り返り見た、越えた“山”には、「そうそう、たまにその一歩な!」と書いてました。でも、有言実行のレースは、もう当分は…。
 ちなみにレース後、コラムの締め切りいつだっけ?と余裕な感じの10キロを完走した辻さんとお会いできました。

長野 鉄雄(横浜市)

得られたもの、失われたもの


 

 この写真は、どこの写真かというと現在の佐久平駅付近です。山は浅間山です。
 時は1977年8月ごろで、当時私は小海線のDD16型ディーゼル機関車の牽引する貨物列車の写真を撮るべく準備していた時に、現在の自分へ向けてこの風景を残そうと思いシャッターを切った一枚です。

 あの頃は、新幹線の駅がこの田んぼや桑畑をつぶしてできるなどとは聞いてはいたものの、想像がつきませんでした。
しかし、現在の佐久平駅周辺は皆さんもご存じのとおりです。

 私の佐久の家からも、この写真の当時は、小海線のキハ52型、キハ55型などのディーゼルカーのエンジン音が聞こえ、とてものどかなものでしたが、今ではそれらのディーゼルカーも姿を消し新型のディーゼルカーのエンジン音も静かになり、聞こえてくるのは、新幹線の今はやりのVVVFインバーターのモーター音だけです。

 松本の中信の方は、新幹線が来なくて信州らしさが残っていて、例会などで行くとほっとした気持ちになります。少なくとも、私が知る限りでは中信地区に新幹線が来た方がよかったとおっしゃる方は新信州人クラブの皆さん、旧信州人?の皆さんでも一人もいません。皆さん『あずさ』、『しなの』で良いとおっしゃいます。

 私は、この世は得るものがあればその裏側に失うものが必ずあり、逆に失うものがあればその裏側に得るものがあると思うのです。ただ、それは人によって感情や欲やまよいによって気付けなかったり、感じ取れなかったりしているだけだと思うのです。その事に気付いてからは、私もすぐ感情に走る性格なので難しいことかも知れませんが、なるべく得るもの失うものその両方を対に物事を考えるように心がけています。昭和の高度成長期に物事の人間にとって便利な面だけを追求し、開発してきた裏側に人間にとって良くないことが増幅して、今になってひっくり返って顕わとなり、大騒ぎしているのが現在の世の中ではないかと思うのです。

 リニアモーターカーのルートがほぼ決定したとの報道を聞きました。利便性だけを追求して、その裏側に失うものが何か、それが人間にとって災いしないかそれをよく見ていって欲しいと考える今日この頃です。
ちなみに1970年代後半に撮った、つたない写真を載せていただきます。


 この写真はやはり1977年1月ごろ、小海線の岩村田、中佐都間つまり現在の佐久平駅付近走行中の車窓から撮った浅間山の写真です。佐久平駅はこんな感じの場所に造られたのですね。

 次の写真は、小海線の岩村田を小諸へ向けて発車した列車の最後尾です。キハ10型、キハ52型と続きます。キハ10型は全廃されたと聞きましたが、キハ52型はディーゼルエンジンを2基搭載していて、勾配地では比較的走行性能が良く、冷房化改造された車両が大糸線で活躍中でした。


 いつまでも走り続けてほしいと思っていたのですが、今年2010年のダイヤ改正で消えることとなり、ダイヤ改正前の3月にお別れ運転、その後ファンの要望に応えて、8月までの連休に何回かの特別運転をして8月22 日の最終日を迎えたのです。


 この写真は、現在の『特急しなの』の一世代前の『特急しなの』です。1976年8月に長野駅で撮影したものです。現在の『特急しなの』は383系と称しますが、この写真の『特急しなの』は381系と称しました。因みに左側の車両は信越本線の普通列車で昔、横須賀線で走っていた車両です。

中澤 滋(松本市)

地デジ対応はお済みですか

 地上デジタル放送が始まり、来年7月には現在のアナログ放送が見られなくなります。
我が家もご多分に洩れず、何らかの対応が必要なのですが、8年ほど前に購入した現在のテレビは、ソニー製・ブラウン管最後の39型画面のもので、画質もとても気に入っているのです。重量100kgという重さは、最近の薄型テレビから見たら前世紀の遺物みたいなものとなっていますが、当分買い替えるつもりはありません。

  私が考えているのは、地デジチューナー、あるいはチューナー内蔵のDVD機器などを買うことでした。でもそれら機器を買っても、我が家で地デジ放送が受信できるのか、あるいは今のUHFアンテナがそのまま使えるのか、ということについては全く分からないのです。機器を購入してから「ダメだった」では、すぐに使えないことになります。

 何か良い方法はないのかな、といつも頭の隅にありましたが、NHK総合で毎日放送(午前6時50分から53分)しているコント、「デジタルQ」(瀬川瑛子、佐藤弘道、鈴木奈緒子アナ出演)は、地デジの気になることを説明するので、何とはなしに見ていました。

 そしたら9月下旬でしたか、総務省のテレビ受信者支援センター「デジサポ」で、地デジ対応チューナーとアンテナを無料で貸し出している、ということを紹介していたのです。おもわず「これだ!」と思い、早速インターネットでデジサポにアクセスしてみました。

 トップページからとりあえず「一戸建て住宅に住んでする方」をクリックすると、各都道府県選択画面に移ったので、長野県を選択。そこでは地デジを見るための方法が紹介されていましたが、肝心の貸し出しについては本文の説明が無くて、よく見ると左側の目次の下の方に「地デジの情報」というタイトルの下に、「地デジアンテナ無料貸し出し」というコーナーがありました。
そこをクリックしたら貸し出しに必要な書類・手続きについての案内があったので一安心です。かなり分かりにくいものでした。
ということで、この文章を書くためにまた試してみたところ、トップページの動くバナー広告にも実はあったのです。でも2つの案内画面が切り替わるのに6秒ほど、お目当てが出てくるまでにはかなり待たされることもあり、そんなことも知らない初めての訪問者には、全く親切ではありません。

 少なくとも動くバナーで案内する項目は、大事なことのはずで、一瞬(今回は数十秒)で見られなかった人のために、そのリンクがトップページに無ければなりません。

 そこで皆さんには、「地デジアンテナキット無料貸出」で検索した方が楽かもしれませんが、念のため「地デジアンテナキット無料貸出」のアドレスを紹介しておきましょう。
http://www.digisuppo.jp/index.php/branch/nagano/21/antenna/

 さて前置きが長くなってしまいましたが、その後の経過報告をします。
 申し込み用紙を送ってから数日後、電話で申込者である私への確認があり、その後5日ほどで「地デジアンテナキット」が届きました。

 中には簡易チューナー、室内アンテナ、そして接続ケーブルなどの器材がありました。
 早速室内アンテナをチューナーに接続し、チューナーからテレビのビデオ端子に接続して試してみると、映りません。どうしたことかと説明書を読むと、前回貸し出した受信状態から松本地域の電波に会わせる必要があるとのこと、リセットして使ってみると、うまい具合に映りました。

 これで私の家でも地デジ放送が受信できることが確認できました。特に回りに障害物がないので、当たり前でしょうね(笑)。画面は結構きれいです。ただ我が家の好みから言うと、カラーと彩度が強すぎることと、光の強い白画像部分ではサチレーション(飽和状態)となりますが、まあ耐えられます。また最低限のチューナー機能のため、番組表などは見ることができませんでした。

 1日その状態でテレビを見て、次の日に自宅のUHFアンテナが繋がっている端子に、直接チューナーをつないでみました。これは自宅のUHFアンテナがそのまま使えるものか、そして感度不足や角度などの調整が必要なのかを確認するためです。

 一抹の不安がありましたが、全く問題なく受信することができました。少し拍子抜けした感じがありましたが、ホッとしました。
これで来年7月までにチューナーなどを購入するだけで、現在のテレビが壊れない限り、この先10年くらいは心配ありません。
ということで、まだ何も準備していない方がいたら、まずは自宅の受信状態と自宅に今あるUHFアンテナが使えるかどうか、今のうちに確認しましょう。来年春過ぎになってから工事を頼むと、駆け込み需要で混む、という声も聞こえて来ますので…。

 さて「地デジアンテナキット」の返送ですが、送られて来たままの梱包を使い、同梱の着払い伝票を使うので、全くお金はかかりませんでした。なかなか良いシステムなので、みんなで利用したらいいと思います。

北村 朗子(大町市)

会報を読んでみて 

〜「よりましょ」70号〜

 「よりましょ」no.70の感想を簡単に述べさせていただきます。

 ちょうど先日兄からもらった絵葉書が、「常念残照(槍ヶ岳より)」という田淵行雄さんの撮った写真でした。ずっしりと重たい白黒の厳しさを感ずるものでした。

 ゆうじんさんの、「懐の大きい場所」というのがよくわかります、もし挫折しかけた人がここにいるとしたら ゆうじんさんの生き方、考え方をお手本にしたら、きっと前向きになるにちがいありません。

 そして理解ある、共に山へ登る事のできる奥様がそばにいること、更にゆうじんさんの良さを引き出したのだと思います。世の中には二人ともとても優れた人なのに歯車が合わず、自分の良さも相手の良さも生かせないでいる人たちはたくさんいます。この頃は私も常念岳が好きになりました。

 伊豆より夏さん この度は「明日の長野県農業を担う若人の集い」2位おめでとうございました。皆に見せて頂きたいというお願い聞いてくださって有難うございました。

 これを機に私は今迄とってあった「みたぼら通信」を番号順に整理しました。実は娘が全部ファイルに閉じてみ易くしてくれました。2004年328号から今日まで見直すのに時間はかかりましたが中味の濃いのに驚きました。本当に素晴らしいご家族ですね。

 かわいいはるなちゃん、よりかちゃんが7年近くの間に立派に成長してきた過程がよくわかります。「農園のあれこれ」など自然に動物に愛情あふれています。

 健全農業ならばこそついたお客様は、きっとそのまま永くお客様であり続ける事と思います。そして「循環型農業の実現に向けて」という夢はすでに実行されており、多くの若者が耳を傾けてほしい内容であります。こんなしっかりした20歳がいますでしょうか。

 よりかさんがはるなさんと共にお父さん、お母さんを大切にする気持がある限りそれはとても正しい道を歩んでいるのだと思います。食の安全のために努力されるかたがいればこそ私達はよりおいしく健康に生きていられるのだと思います。本当に原稿ありがとうございました。

 信濃木崎夏期大学 本当に懐かしい言葉です。私は中学時代購買部でしたので、ノートや消しゴムを売る、掃除をする、草むしりなど一週間ばかりアルバイトに行ったことがあります。

 大人になったら是非来ようと思って一度も行きません。駄目な大人です。そこへいくと中澤さんは実行力と向学心があります。それにご一緒する奥様も偉いです。

 中澤さんの説明が良いので、目の前で聞いているような気持になります。

 この1時限目の技術革新が経済発展を促すというのとEKさんの「たかが電波塔・・・されど、世界一」が共通していて、川本さんも教授レベルの優秀なひとなのだと思いました。

 あの電波塔を全身撮るのはとても難しく相当遠くからでしょうに、すぐ近くに見えるという技術もすごいです。カラーですと本当に綺麗でした。

 辻正道さんってこんなにも優しい人だったのですね。私は63歳、私の母は生きていれば84歳(大正15年生れ)です。自分の母親にそれだけのことをしてあげてたら、どんなに母を幸せな思いにさせたことであろうか、と思います。

 普段甲斐性のある息子夫婦といながらも。娘とその優しいだんな様に思いやりをかけてもらって さぞ嬉しかった事でしょう。コマーシャルで「おいしいって幸せってこと」とありましたが、あれは本当と思います。健康の秘訣ですね。

 南澤さんのおいしそうな バナナケーキ の作り方参考にしました。ホットケーキのもとの粉の中にミキサーにかけた牛乳とバナナを入れて蒸しぱんにしました。超おいしかったです。この次は南澤さんの通りにやってみます。

 最近「真ちゃんの鍋ひとつで簡単うまい料理」が若い人の間でヒットして、その中で「シシャモの簡単マリネ」が良かったですね。
たまねぎ、にんじん、ピーマンをイタリアンドレッシングに漬け込み、シシャモをサラダ油で薄く塗ってホイルにならべトースターで3分焼く、熱いうちにつけた野菜を混ぜて頂く、簡単且つおいしい、栄養満点です。

 チョコさん、日中の暑さは東京も長野県も同じですね。この辺のよさは朝夕の涼しさでしょうか。蓼科あたりは空気、水が又特においしいですね。白樺の木にピアノの音色が聞こえてくるそんな風景を想像します。こんなはずではなかった…、本当に私も日常生活のなかでそんなことだらけです。

 順応して、いかに環境に慣れるかを考えた方が得策、と私の場合考えてしまいます。お互いにがんばりましょう。

編集後記


 編集会議は何時も楽しく参加させていただいています。自分の感じることを特にどう思われるかなど考えずに言わせていただけるのは、とてもありがたいです。そんな中で、また新鮮な気持ちをいただいて帰途につきます。

 今年はどうも厄年に当たるようで(私のみのですが)3月から不調が続いています。そんな中でも編集会議には出かけて行く気力が出ます。(倉)


 信州暮らしをはじめて二年半経ったわが家にとっては念願だった、目の前に畑があって(借りれるかはまだわかりませんが)、焚き火と七輪焼きができ、山を望める家に引越しが決まりました。

 ちょっと、いやだいぶ古いですが。ただ問題は、いつものことながら追い炊きなしの風呂です。でもあの寒さが、怠慢な私に釘をさしてくれるので、必要悪みたいなものかもしれませんが!ゆうじんこと(田)


 今年の山田杯マラソンは、不覚にも膝を痛めてしまい参加できませんでした。まあ、私の場合3キロに出ようと思っていたのですが…(笑)。

 その原因ですが、いつもの犬の散歩を兼ねた5キロのウォーキングで、行きと帰りに何本かのダッシュをしていたのです。そしたら犬のリードが左側なので、左足が引っ張られるように走っていたのが、膝にきてしまったようです。

 それでもサポーターとテーピングで日常的には問題がなかったのですが、10月に入り、本格的にトレーニングするため、2キロ程走ったら完全にダメになりました。年を取ってから膝を痛めると大変、と女房に怒られてしまいました。

 結局サポーターが取れたのは10月末、ということで、ずいぶん時間がかかることを思い知らされました。失敗・失敗…の巻でした。(中)

 

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