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新・信州人倶楽部


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第72号

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   ◆忘年会報告

K.K(川口市)

 今回入会して私達にとっては初めてのイベントである“忘年会”に夫婦二人で参加することが出来ました。  
 初めてとあって、以前から知っている方々が今年は用事で出席出来ないと聞いて少し不安もありましたが、行ってみると本当にいろいろな方々のお話を聞くことが出来て、“あっと”言う間に時間がたってしまい本当に楽しかったです。
 年齢も住んでいる所も遠い方がいることが解かり、今後は時間を取って、いろいろなイベントに参加していきたいと思います
 私達はこの一年は2ヶ月に1回くらいは安曇野に行くので、今後も日程を合わせて、是非清流での釣りにトライしてみたいなと思っています。よろしくお願いします。

◆ ◆ ◆

中澤 滋(松本市)

 今回は大町「くろよんロイヤルホテル」での忘年会で、お子さんを含めて16名が集まり、12名が宿泊でリラックスしてくれました。 また初めて参加される会員も多く、自己紹介では今まで以上に興味ある話が多く、とても新鮮な感じで楽しかったです。
 会場ですが、昨年までよりグレードアップし、部屋の雰囲気もよく、美味しい食事を楽しむことができました。来年は洋食の宴会コースを試してみたい、そんなことも今考えています。

 宴会場ではいつものようにビンゴゲーム、そして場所を移しての二次会では、夜中まで皆さん楽しんでいただけたようです。 そんなこともあり、私達事務局・運営委員にとって今回の忘年会は嬉しいかぎりでした。
 皆さん、ありがとうございました。

辻 正道(松本市)

郷土に“いいもの”発見!

〜新野の雪祭り〜


 ここは長野県下伊那郡阿南町新野です。
 飯田から南へさらに車で1時間、長野県最南端、周囲を山に囲まれた、標高800メートルの高原です。新野千石平と呼ばれるこの地に農地と民家500余戸、1500人ほどの人々が暮らしています。

 古くから街道の要衝であり、南北を走る遠州街道(国道151号)と東西の街道(国道418号)が町の中で交差し、この山国に遠くの文化が運ばれ、新野独特の文化が育まれてきました。
 そのひとつが新野の雪祭りです。まっ白な雪に新しい年の豊作の祈りをこめて一晩中踊り、舞う、素朴な伝統行事です。室町時代から連綿と受け継がれ、能や狂言などの伝統芸能の原型と言われ、夏の盆踊りと共に国の重要無形民俗文化財に指定されています。

 毎年決まって1月14日の深夜から15日の朝にかけて行われます。今年はちょうど金曜日の夜になりましたので、かねてからの念願がようやく叶い、いつもの旅好きの連れと2人でやってきました。仕事を終えて夜9時に家を出、新年会たけなわの相棒を拾い、夜12時過ぎに新野に着きました。会場は村のはずれ、伊豆神社です。



 午前1時半過ぎ、ようやく境内の大松明に火が灯りました。さっそく赤々と燃える火にあたりながらコップ酒をはじめました。これが冷えた体にしみて実にうまい!
 そしていよいよ祭りの本番スタートです。ひょうきんな面をつけ、両手に松と扇を持った、最高の神、幸法(さいほう)の登場です。ユーモラスな芸をしながら出たり、入ったりを9回繰り返します。続いて幸法のまねをするもどきです。これも7回出入りします。見ている方もちょっと飽きてきます。

 わたしは、お酒もきいて眠くなりましたので境内にある休憩室で一眠りすることにしました。この部屋がなかなか快適です。ストーブががんがんたかれ、畳の上で皆さんそれぞれに横になっています。寝袋に入っている人から、そのまま仰向けに倒れている人、お酒を飲み交わしている人、男も女も自由に好きな格好で休んでいます。実にいい雰囲気です。  
 
 気持ちよく一眠りして、また会場にもどるといよいよ、祭りのハイライト、競馬(きょうまん)が始まるところでした、午前4時です。馬のはりぼてをまとい、弓をもった騎手が2人登場です。華やかな姿が火のあかりに一段と映えます。弓を射ると人々は競ってそれを拾います。
 その後も、舞が延々と繰り広げられます。空が白んできました、雪も降ってきました。まことに寒い、眠い、けむたい祭りです。また休憩室でごろんとなり、ひと休みしてもどりますと祭りも終盤を迎えていました。500人もいたお客さんもいつのまにか20名ほどになりました。

 16もの舞をひととおり最後まで見た私たちは、道の駅で朝飯を食べ、まっすぐ温泉のある「かじかの湯」へ行き、どぶんと湯につかるともう最高、そのまま昼まで寝ていました。

ゆうじん(松本市)

山のコラムは今回改めて…


 我が家も信州松本へ移住してきて、ちょうど3年が経とうとしているこの時期ということで、この度はすこし趣をかえて、3年間を振り返ってみようかと思います。

 とにかく我が家の移住は、突発的で、いまでこそ私は北アルプスに登ってますが、登山などしたこともなく、家を購入する予定もなく(むしろ売却して来ました)、仕事も決まってなく、まだまだあるわあるわその「ないないづくし」にも程があります、か?(笑)

 当倶楽部においても、「田中さんの移住は例外ですね!」と何度か言われて、おおかた当たってるんだと思います。アッハッハ。
 まあ、それは大変私らしくもあり、それに付いてくる妻はもう大変だと思いますが、お陰さまでなんとか日々暮らしています。4人と猫一匹ではじめた新生活も、いまでは猫がもう一匹増えて、昨年秋には新たに近くの古い大きな家をお借りしまして、多すぎる部屋は冬は諸刃の剣、暖房効率を思案して寒さをしのぐのにもう大変です。春よ早く来いと心の底から思ってますね。

 さて、行き当たりばったりで山に行きだしたり、ランニングをしたり、レースに出たりと小心者の私なりに勇気をもって事に当たった結果、気づけばそれなりに友人知人ができてました。もともと人見知りで独りが好きな(いまもそうです)私ですが、自然な流れにそって様々な頼まれごとや活動を人様としてきた結果、ちょっとずつですがこの春に同期して芽がでてきそうな気配です。
 ちなみに、自分が面白くないものはやらないよ!が信条です。信条はときに曲がりますね(笑)。

 いま不惑をまえにして、これまでの3年間の身体をふくめたベース作りが生かせるような活動をはやく実現したいです。山野を歩き回る身体は十分にできましたし、人様を驚かす快感もおぼえました。こんな例外的な人間を面白がってくれる方々がいることにも気づきました。

 さあそろそろ次のステップです。
 思えば3年前、安定していた生活を捨てて移住するにあたり、いきおい委託元(私は個人事業です)の会社に辞職の旨を伝えたはいいけど、仕事が決まらない2カ月間は子供の寝顔をみながら考え込んでいた時期がありました。

  それは毎日不安でした。そんな折会社の同期に、「応援する。こんなアイデアがあるんだ」と言われて、いまの山梨での仕事があります。はからずも数人がバックアップしてくれて、想いだす度にいまでもウルッってきます。そういうのを運がいいという人もいますが、大勢に迎合せずに、友情を繋いできた「ご縁」が成せるものだったのではとも思います。そんな人と人との繋がりを今後も大切にしていきたいと本心から思っています。

 ちなみに当時、それなら山梨に移住すればよかった、などと不謹慎にも思ったかどうかはご想像におまかせします。

長野 鉄雄(横浜市)

特別急行列車の特別の意味とは?

 11月30日の朝、8時ごろのことである。私は新橋駅のみどりの窓口を訪れ、12月30日乗車分の寝台特急『あけぼの』号の特急券、個室B寝台券の事前予約の申込をした。申込券と引き換えに窓口で渡された予約券には予約番号44番の印字がされていた。
 夕刻、帰宅時に再度、新橋駅のみどりの窓口を訪れ、指定席が取れたか、取れないかを表示している掲示板を見に行った。学校の入学試験の結果発表に似ている掲示板では予約番号44番は×であった。つまり取れなかったのである。

 しかし、帰宅してからプッシュホン予約で、開放型B寝台の予約を無理と思って申しこんでみたら、取れたのである。
ただ、開放型は盗難事故発生のリスクがあるため、なるべくなら開放型も個室も同一料金であるならば、個室を選びたかった。まあよい。乗車の2,3日前になればキャンセルも発生し得る。その時を狙えばよい。
 案の定、28日に有楽町駅のみどりの窓口で、個室の空きがないか照会してもらったところあったのだ。乗車変更ということで差額は生じず、私は12月30日の上野発、青森行き寝台特急『あけぼの』の乗客となるのである。
 ただ、この時期、日本海側の羽越、奥羽本線を走るこの列車は大雪や強風の影響で運休になってしまうことが多い。苦労して手に入れた特急寝台券も、全額払い戻しになってしまうかも知れない。

 そんな思いの中、いよいよ12月30日を迎えた。昼間JRのお客様相談室に念のため『あけぼの』号の運行予定を電話で確認したが、幸い現時点では運休の予定はないとのこと。
 夜になり、職場の皆さんに年末の挨拶を終え、職場のビルの地下一階のマックでハンバーガーを3つ買い、有楽町のみどりの窓口へと向かう。北東北函館方面のフリーキップを買おうとすると、年末年始の帰省シーズンは販売していないとのこと。JTB,JRの時刻表にはそのようなことが、書かれていなかったのだが…。仕方なく、落部までの往復キップを購入する。さすがに私もこのときは、JRのお客様相談室に苦情の電話を入れた。

 そのまま、上野駅へ直行。時間は19時位。『あけぼの』号の発車時間は21時15分なので時間はまだ、たっぷりとある。やはり、上野駅は新幹線の開業とともに、大きく変貌を遂げていた。昔ならばこのシーズンであれば在来線のホームは帰省客で混雑していたのだが、今混雑しているのは、明らかに帰宅を急ぐ通勤客だ。それにしても困った。駅に在来線の待合室がないのだ。寒さが身にしみる。近代化した上野駅に使用されている金属類の冷たさがそのまま伝わってくる感じなのである。

 かつて、子供のころあった立ち食いそば屋はトイレと化し、安く食事のできる場所がない。仕方がないので、そのトイレの近くにあるラーメン店に暖をとるために入る。
 それでもまだ時間はある。『あけぼの』号は地平(地上)ホームの13番線に20時50分に入線するのだ。やむを得ず13番線ホームのベンチの一つに座る。いつの間にか子供のころ、列車の写真を撮ろうと上野駅の構内を走り回っていた自分のことを思い出していた。この13番線でも列車の写真をたくさん撮った。そして今現在、一カ月更新の派遣の薄給の身で働く自分。なぜこんな自分になってしまったのか…。私の悪い心癖で過去の自分から現在の自分を叱責することがある。愚かなことだとは思うが、死ぬまでこの心癖は治らないだろう。

 ようやく時間が過ぎ、機械的な女性の声で、『あけぼの』号入選のアナウンスが流れる。やはり時代の流れである。しかし、そのアナウンスの後、流れる放送が「やはり上野駅は昔と変わらないところもあるな」との思いにならせてくれた。『業務放送、2021列車13番接近!』。これはさすがに機械の声ではなかった。ほどなく、尾久方向より、もはや旧型客車となってしまったブルーに金色の帯を巻いた車体が列車最後尾の扉を開け機関士と思しき人が安全を確認しているのだろうか。推進運転で前方についている機関車に押される形でホームにゆっくりと入ってくる。旅客扱いの車両が8両、電源車が1両、そして先頭には機関車が1両、10両編成である。

 


 ほどなくドアが開き、私は6号車21番の狭い個室に入りこんだ。個室では、横になるかあぐらをかいて座るかの姿勢しかとれない。個室のドアのキーは一度任意の4ケタの数字をメモリーさせそれによって、キーの開け閉めをするようになっている。私は荷物をおろすと先頭の機関車の写真を撮るため、車外へ出た。機関車のところに行くといるいる。やはり皆さん携帯電話やデジカメを手に写真をとっている。

 この列車は上野から長岡まで、直流電気専用のEF64型1000番台で、長岡から青森までが交直流電気両用のEF81型が牽引する。速攻でぶれながらもEF64型の写真を撮ると個室へ戻る。

 やがて、車体がゆっくりと、さほどのショックもなく動き出す。客車列車の場合は電車と違い、大きなショックを伴い動き出すことが多いが、丁寧に機関士が運転しているのか上品な走り出しである。個室のカーテンは開けっ放しで動き出した風景をゆっくりと目で追う。やがてハイケンスのセレナーデのオルゴールが鳴り車内放送が流れ始める。到着駅とその時刻の案内が放送されている。そして、この放送を以って明朝、秋田到着前まで放送はお休みとのこと。その放送が流れている際にも、やはり、珍しいのだろうか通過駅ではJRの通勤客がこちらを見ている。

 狭い個室の中で着替えるが変な格好で着替えなければならないからか筋を違えそうだ。 それでもなんとか着替え横になるとすぐにそのまま寝入ってしまった。

 朝、秋田到着前の放送のハイケンスのセレナーデのオルゴールに起こされる。
 カーテンを開けると、外は雪が降っている。しかし列車はこの程度の雪は大したことないぞと云わんばかりに定刻で走っている。普段着に着替え、昨夜買った冷えたハンバーガーを食べる。正直、どこかで雪の影響で遅れるではないかと思うほどの雪が降っている。
ポツリ、ポツリと停まる駅で乗客が乗り降りしているのだろう。

 気が着くとあっという間に青森に近づく。ひとつ手前の新青森到着時の放送では、東北新幹線はやて号東京行きの乗り継ぎ案内をしている。時代の流れを感じずにはいられなかった。そして新青森を出るとあっという間に終着駅青森。それも定刻通り。青森では降りるとまた先頭の機関車の写真を撮りに行ったが、『あけぼの』のヘッドマークも機関車のプレートも雪で真白に覆われていた。とても頼もしい感じがした。

 『北斗星』号や『カシオペア』号では機関車が新鋭のEF510型に置き換わったと聞くが、EF81型にはもうしばらく走り続けてほしいと思う。その機関車はすでに客車から切り離されて動き出すところでうまく撮れなかった。
 もはや特急列車の特別とは早く急ぐことを意味することではない。かつて昔はそのような意味でもあったと思われるが、バブル崩壊後その価値観は逆転し、今ではゆっくりと目的地へ向かうことが実は贅沢で特別なことなのだと。今乗ってきたブルーの車体を見ながらそんな思いに駆られていた。今回は21:15に発車し、翌朝9:56着とあっという間の乗車であったが、今度はもっと長い時間ブルートレインに乗っていたいと。

 

だるちゃん(大町市)

会報を読んでみて 

〜「よりましょ」71号〜

Tさんの丹波園部にて、郷土にていいもの発見は、城下町というのは特に魅力あります。それに明治維新で殆どの城が廃城になった時に改築して残したという、いかにも三代そろって名君小出氏といわれるものです。
  我が家は主人が6代目です。最初のご先祖様は文政7年だそうです。勝海舟の生年は 文政6年です。それから46年後が明治維新です。
そうしますと合羽家は創業1810年頃で現在の女将さんで4代目というのは、皆 天寿を全うされて立派に旅籠を守ってこられたということです。
 やはり領主さんが外様大名でも寺社奉行をしたり、宮中とも深いかかわりがあったという幕閣の大事な仕事をしていたので、町並みは綺麗に整備され、そこに住む人も人情豊かにのんびりとしていたようです。
 そのお殿様につけていただいた名前の旅籠、園部市か兵庫県の重要文化財になる気がします。昔のままの建て方でずっと維持していけたら良いなあと思いました。女将さんにとっても写真を見せて昔懐かしい話ができて辻さんとは良い出会いだったと思います。

 私はゆうじんさんの「先ず一歩を踏み出してみよう」と言う根性が気に入っています。
 自身はそれに似たような心境で未知の世界でも「先ずできることから始めてみよう」でいろいろなことを乗り切って来ました。
ですが、マラソンの最中に「プレッシャーを楽しむ」というのは ただものではないという感じです。その余裕性というか、若さが羨ましいです。
だいたい私はプレッシャーに弱いです。

 人はとことん追い込まれると、どうなるかでその人の品性や意外な面をみせます。
 因みに私の母は良妻賢母型、父は事業家で一世を風靡しましたが、倒産後どん底の経験もしました。それから15年後に見事に回復し、最後最も尊敬に価する人として無形の財産を残しました。あの母にしてなにゆえアホな娘かと思うことは何度もありました。強いて自分を弁護するとしたら、回復力と転びっぱなしでないダルマの精神 だったと思いたいです。
 ゆうじんさんの健康的な挑戦能力はさわやかで、限度をわきまえていると思うので皆が応援するのだと思います。信州のいっぱいの空気をエネルギーに変える。他までも元気にしてくれます。
 大町市へ「三蔵呑みあるき」によくぞ来て下さいました。大町市には博物館もいろいろありますので、又是非来て下さい。


 長野鉄雄さんの「得られたもの、失われたもの」は考えさせられました。
 自分の利益、損害とは関係のないところでの便利性の良い所しか、見えませんでしたが、なるほど確かに長野さんの言う事は納得します。ついこの前まで、「仕事がなければ佐久へ行け」と土木業界ではそんな言葉がありました。

 新しい建物、道路工事、車の特殊免許を持った人にとっては 大いなる活躍の場所でありました。それに反して新幹線の枠からはずれた小諸市の方はすっかり寂しくなったといわれましたが、果たして本当はどうなのでしょうか。

 佐久市の光と影。それは穂高と池田町においても大糸線ができた当時はありました。最初は大糸線は穂高ではなく池田を通る予定だったと聞きます。しかし地元の反対により当時穂高村に駅ができたのです。今は穂高は大変な勢いで進歩しています。なにが良いかは 多分そこに住んでいる人の必要とする要素によって価値、判断が変わると思います。

 得るもの、失うものを対に考えるように心がける。長野さんは人間ができていると思います。私もそう考えたいです。
佐久市の今昔の本ができる時は是非長野さんのもっている電車、風景の写真を載せてもらってください。とても価値のある写真と説明だと思います。それにマニアというのも嬉しいですね。電車って夢があります。

 関係ありませんが、我が家の上にある山の頂上標高1100メートルから浅間山が見えます。ほぼ同じ目線上ですから浅間山は2000メートル強位かな?遠いのに身近な感じがします。

 Y.Tさんの満願寺とうがらしは主人は知りませんでした。私もただのとうがらしでさえ単品で料理するということはなかったので、珍しい野菜と思います。こちらでは赤いので鷹の爪というのが、とうがらしと言われています。
  細く切って漬物によく入れます。畑で作っている人が多いです。天ぷら、煮物に良いというのはお弁当にも合いそうです。ちょっと料理してみたいです。

 そして、より夏さんの記事褒めてくださって有難うございました。
 伊豆さん親子を私は農業の「親子鷹」と内心思っているんですよ。親子鷹(ドラマ)は勝小吉、勝 麟太郎(後の海舟)の親子です。
 晩秋に塩尻までいらっしたとのこと。是非 倶楽部の皆で会えたら良いですね。
 新・信州倶楽部の人の集まりは幹事さんたちの一生懸命さ、お人柄が皆に伝わって、とても雰囲気が良いです。料理の上手な人も多いですね。勉強になります。

  津嘉田泰三さん、娘さんが3歳というのは一番可愛い盛りです。趣味と実益を兼ねた良いお仕事ですね。お子様はたくましく育つと思います。今度皆にギターも聞かせてください。楽しいですよ。きっと。

 トトロさん、信大は近いと良いと思うのですが遠いのが難点です。主人は胃は丈夫ですが鼻にハナタケができて手術を申し込んだら、来年の4月頃になるようで一年がかりでございます。鼻で息ができないそうで苦しそうです。大町市のあらゆるところへいきましたが、最後信州大に紹介されました。
主人は車でどこにでも行けますが、私は大町市以外ほとんど出た事ありません。私でも行ける近い距離に医者、設備があったらよいと思います。

 地デジは美麻が大町市になる前に、特別申込者だけ無料というので、チューナーをとりつけてもらいました。一台限定でした。家にテレビは4台使っているので、あと3台はこれから取り付けます。いよいよ迫った感じで、焦ります。

 中澤さんは農家顔負けの大根植えをなさいますね。無農薬、無肥料は難しいです。我が家は有り、有りです。何だか今年は小さくて、やたらと辛いです。それでも大根おろしをどんぶりいっぱい作ってそばつゆにいれたり、納豆に入れたりすると、おいしいですね。「だいこんは横に切るより筋に沿って縦に切った方が良い」と、いつか森繁久弥と竹脇無我の「大根の花」というドラマで言っていました。本当かどうか知りませんが、ずっとそれを守っています。
  特に味噌汁の具に使う時、縦きりのせんぎりです。私も古いですね。
 たくさんの大根は一本ずつ新聞紙にくるんで、布をかけて天然冷蔵庫の奥の廊下におきます。2、3ヶ月はもつので、助かります。

編集後記


 雪の季節は遠出が怖かったのですが、編集会議に無事参加できました。雪が怖いのは家の周りだけ、少し下りると除雪+暖かさで道路も安心して走れました。
 寒い季節は、薪ストーブが消えてしまわないうちに帰らなくては…、そんな思いもあり、会議後は急いで帰途につきました。
 無責任に楽しませていただいている編集会議です。今回で田中さんが抜けられるのは、頼りなく、あまり当てにならない状態の私にとって痛手ですが彼のこれからの活躍に期待し、また、代りに参加してくださる方に期待をかけることにします。(倉)


 コラムにも書きましたが、2008年3月に移住してきたわが家ですが、当倶楽部の運営委員もその年の8月から微力ながらやらせていただきました。よく書かせていただいたコラムでも、“アホな活動”などと散々言ってきましたが、そんな山を中心とした活動も信念もってやると、やはりなにかしら繋がるもので、お陰さまで今春から忙しくなりそうです。
 そのような経緯がありまして、勝手ながら運営委員のお役目を終わらせていただくことになりました。至らない点もあったとは思いますが、できる限りの範囲でお手伝いはさせていただいたつもりです。また、すべての経験はよい勉強になったのは言うまでもありません。
 今後は、一倶楽部員として、引き続き会報やメルマガ、そしてBBQなどでお世話になることになると思いますが、どうぞよろしくお願いします。ゆうじんこと(田)


 ごぼう茶、というものがはやっているそうです。そこで私も作ってみました。ごぼうをささがけにして、梅干し用の竹ざるに入れて外に干しました。水分がほとんど抜けてからからになったら、10分程フライパンで炒るだけです。簡単です。
 そしてそれをひとつまみ、きゅうすに入れて飲みますが、ごぼうの香りがして、やや甘い感じです。結構いけますね。
 効果があるか分かりませんが、日常的に食べている野菜なので、危険なことは無いでしょう。いつも飲んでいる中国茶や沖縄茶などの合間に、飲み続けてみようと思います。(中)

 

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