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新・信州人倶楽部


▲▲▲ 新・信州人倶楽部報 ▲▲▲



第82号

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   忘年会のお知らせ

 今年の忘年会ですが、早々と会場予約を済ませましたのでご案内します。 場所は昨年同様、松本駅前のホテルブエナビスタの中国料理の宴会にしました。飲み放題付きのお手頃価格ですので、皆様奮ってご参加ください。

スケジュール
 日時:12月14日(土)PM7:00〜
 場所:ホテルブエナビスタ(1階)
     中国レストラン 聖紫花
 会費:5,000円
 お子さまプレート(1,000円あるいは2,000円)が用意できますので、子供連れの方はお申し出ください。

※ビンゴゲーム参加料500円、二次会参加料500円(お酒を飲む人は1,000円)が別途必要ですので、参加される方は会場受付で会費と供にお支払いください。
※宿泊の方は忘年会割引価格でシングル6,000円(朝食付7,000円)の部屋を用意しています。宿泊料金は各自チェックアウト時にお支払いください。
※ホテルへは、JR松本駅「お城口」から徒歩7分、バスターミナルからは徒歩5分です。また松本駅「お城口」を出て、右手駅前ロータリー内から、ホテル行きのシャトルバスが随時運行していますので、ご利用ください。

 ホテルにおける今年の忘年会プランが確定していないようなので、上記案内は昨年同等に書いています。宴会料金は確認していますが、その他の料金についての変更があれば、次回の会報でご案内します。なお、早めの参加申し込みは大歓迎です。

 それでは今年も楽しい忘年会になるよう、皆様の参加をよろしくお願いします。

 

 

 皆様の参加をよろしくお願いします。

 

  ◆バーベキュー例会報告

 夏恒例のバーベキュー例会、7月14日に松本市梓川の梓水苑バーベキューハウスで行いました。参加者は大人12名、子供4名と賑やかで、埼玉県と千葉県の会員も参加してくださいました。

 今回の食材は、天然サザエ、鮎とサーモンのホイル焼き、塩レモン味の鶏手羽元、牛カルビ、ウィンナー、野菜類、トウモロコシなどでした。デザートには波田産のスイカもあり、皆さん満足していただけたようです。また、各自持参してくださった食材・サラダ、おにぎり、フルーツなどもたくさんあり、皆で美味しく頂きました。
 参加してくださった方々には、ありがとうございました。。

辻 正道

郷土に“いいもの”発見!

〜せたなにて〜


 ここは北海道久遠郡せたな町大成区にある海の温泉宿、貝取澗温泉・町営国民宿舎「あわび山荘」です。お盆休みを利用して女房と二人できています。日本海の潮騒に耳を傾けながら、名物のあわび料理でゆっくりくつろいでいます。

 国鉄瀬棚線が廃線となって久しく、函館本線長万部から北桧山までバスで1時間半、さらにバスを乗り継いで大成方面へ30分、宮野下車後、宿の送迎車で10分という、文字通りの秘湯です。でもわれわれ還暦組にはちょうどいい、本当に静かで手ごろな温泉宿です。外はいい雨が降っています。

 8月18日(日)深夜より天候が急変、すごい豪雨となり、網戸から雨が部屋の中まで降り込んできているのに気付き、あわてて締めました。朝、起きると雨足はますます強くなり、ニュースではここ北海道桧山・渡島地方は大雨・洪水警報発令中とか。さらに函館本線は昨日、貨物列車が倒木に乗り上げ脱線、長万部―八雲間で不通、復旧の見通しがたたないとの話です。ええっー!明日から仕事だというのに。今日中に松本まで帰れるだろうか?

 方針は、海岸線沿いにバスで江差まで南下、JR江差線で木古内に出て津軽海峡線で新青森へというルートです。8:50、宿の送迎車は私たち2人のみを乗せて江差行きのバスが出る熊石に向け出発しました。宿の方は本当に親切で気持ちよく私たち2人のお客のために送迎してくれます。
 天気が良ければ奥尻島がよく見えるそうですが、それどころではありません。海は大時化、川もまたたく間に濁流となり、ゴーゴーと流れて海の色まで茶色くなってきています。山がすぐ後に迫る小さな漁村では人々が出て、心配そうに海や山をながめています。ある所では道路に水があふれ消防車が駆けつけていました。

 20分ほどで熊石のバス停につき、時刻表を見ると、「ええっ!これって日・祝日運休じゃないですか!」次のバスまで2時間もあります。これじゃJR江差線の接続、津軽海峡線、青森新幹線まで全部狂ってきます。すぐケイタイから宿舎に電話、「申し訳ございません。気付きませんでした。そのまま江差駅までお送りします」。

 江差までは40キロ、車で1時間もかかる距離ですが、そんなことも言っておれません。ゲリラ豪雨の中、運転手さんには気の毒ですが、とにかく江差駅まで、車をとばしてもらいます。江差線は3時間に1本しか出てないのです。1本逃すともうメチャクチャです。
 車はもくもくと走り、なんとか10:27発の列車に間に合いました。本当なら北廻船と鰊漁で栄えたこの江差の町をゆっくり歩きたいところですが、外は台風なみの暴風雨、先を急ぎます。駅で名物の鰊弁当を買い、1両だけのディーゼルカーに乗り込みます。このJR江差線も来年5月に廃線とか。昭和11年より78年も地域の足として動いてきたのが、なくなるとは。北海道は本当に車社会となってしまいました。列車は1時間ほど山の中を走り木古内駅に着きました。運よく新青森行きの特急「白鳥」は動いてます。

 2015年北海道新幹線が札幌まで開通するそうです。東京から5時間で札幌です。学生のころ、青森から連絡船で4時間かけて海を渡り、初めて北海道函館についた感激は忘れられません。

 日本中、幹線だけはどんどん早く便利になっていきます。木古内駅も新しい立派な高架の駅が姿を見せていました。江差線がなくなるというのに、ここに新幹線の駅を新たに作る意味がよくわかりません。
 次に北海道へ来る折は、東京から新幹線で来るのでしょうか?がんばって今も走り続けている、私の好きな寝台特急「北斗星」「トワイライトエキスプレス」「カシオペア」もなくなるのでしょうか。宿で買ったせたなの地酒をちびりちびりやりながら「白鳥」は、津軽海峡をトンネルで越えていきます。

長野 鉄雄

異常気象


 首都圏は連日連夜うだるような暑さが続いています。晴れていたかと思うと突然の雷鳴や豪雨。どう考えても、異常気象としか言いようがありません。これが異常ではなく通常なんでしょうか。

 私自身は暑さには強いほうだと自覚しているつもりですが、さすがに最近の暑さは加齢も加わってか厳しく感じられるようになりました。休みの日はただ暑いからと言って家にエアコンをつけて閉じこもっているのは、身体によくないと考え、なるべく昼間はむしろ汗をかくようにしています。平日は会社でエアコンがきいているためさほど暑いとは感じませんが、休日は新陳代謝を促したほうがよいと考えているからです。

 最近、「この暑さの中で冬に花が咲くはずのシクラメンの花が開花した」と知人から聞きました。また日本のみならず世界各地で洪水や日本以上の暑さにみまわれて大変なことになっているようです。

 地球は我々人間に異常気象をはじめとする悪天候などで我々人間に何か警告状を突き付けているのではないでしょうか。話が飛躍するかも知れませんが自然を守ることは即ち人類を守ることと同じであると私は思います。しかしそれらを破壊することで人間にしっぺ返し、災いとなって返ってきます。

 話は戻りますが、暑さは我慢するしかないのでしょう。修行と自らに言い聞かせ耐えるより他はないのでしょうね。

中澤 滋

信濃木崎夏期大学

 今年も信濃木崎夏期大学に行って来ました。今回は初日の「ピカソ:芸術家の誕生−ピカソは本当に天才であったか− その創造の軌跡をたどる」、そして6日目の「科学三題:ブラックホール・太陽・核融合」を受講しましたが、ここではピカソについての講座を聴いた感想を書いてみます。
 講師は、早稲田大学文学学術院の大高保二郎先生の講義でした。

 ピカソは皆さんご存じの有名な画家であり、私も好きな画家でもあり、ピカソ展などには良く足を運んでは、彼の絵画に触れてきて、それなりに理解はしていたのです。
 ピカソの本題に入る前ですが、大高先生はベラスケスを生涯のテーマとして研究されているとのことで、「絵を観るということは、絵に見られている、ということだ」と言う言葉を引用しながら、我々は試されている、知っていれば得るものが多い、と子供の頃から感性を磨く事の大切さを訴えていました。

 さてピカソについてですが、先生が言うには、ピカソは天賦の画才はあったものの、必死の研鑽とたゆまぬ探求の結果として不世出の巨匠になり得た、という見解から始まりました。
 私はピカソが天才だったと思っていたので、先生の言われる「必死の研鑽とたゆまぬ探求の結果」というのが、ピンときませんでしたが、講義を聴いているうちにだんだん理解できるようになりました。

 話しはピカソの幼少期の環境に触れ、生地マラガを「イスラムとカトリックが積層するトポス」と形容、つまり異種混交の歴史を持つ土地で影響を与えられたもの、それはスペインでの洗練とは対極である、と話しました。確かに多種多様の文化に触れることは、人に影響を与えますし、特にピカソのような多感な少年であれば、その後の才能に大きな影響を与えたように思われます。

 芸術は洗練されたものだけではない、つまり芸術は必ずしも美しい色、風景だけではない、そんなピカソ少年の想いはアルカサーバ要塞、闘牛場、マラガ大聖堂(非対称建築物)などの建造物にも影響され、当時から男性優位、変身願望、そして絶対的立体感覚の造形力を持っていたと考えられる、と話してくれました。

 さらに、ピカソ9歳頃に描いた絵の切り抜きをみると、天性の空間想像力があることが分かると、具体的な例を挙げています。
 ピカソの口述的な言葉として、「私は流浪においてスペインを代表する」ということも紹介、マラガ〜ラ・コルーニャ〜マドリッド〜トレド〜バルセロナ〜パリ(20歳)〜マドリッドと移り、24歳でパリ滞在となったが、その他ロンドン、ローマ、ナポリにも滞在し、これら地中海地域はピカソの求める地と重なっていたそうです。

 さてピカソの生誕(1881年)の2年前、アルタミラの洞窟壁画・岩の凹凸を利用した絵が発見されたのですが、当時は偏見的な学問が主流で、「一万数千年前の人類がこれほどの絵を描いたとは思えない」などと、パリ・フランスの学会はなかなか本物とは認めなかったようです。
ところがピカソはこれを絶賛、「私にはこれほどのものは描けない」と述べ、芸術は太古の昔も今も、それほど異なるものではない、との認識を示したそうです。

 確かに道具や技法がいろいろ違っても、「何を描きたいか」、そのあたりの心・感情は変わることはなく、絵を描きたいという突き上げられるような想いで描けば、太古でもいつの世でも傑作は出てくるものなのでしょう。

 ところでピカソの父親は美術教師・画家で、ピカソにとっては父が師であり、ライバルでもあったそうで、「手が描ければ一人前」と言われていたそうです。またピカソの子供の頃のデッサン・表現力は、大人になってからのそれと同一である、という興味深い話も聞くことが出来ました。

  午後の講義も興味深く、ゲルニカについての考察の中で、黙示録的な絵画で、キリストの受難と酷似しているものであるが、兵士の手から花(アネモネ)が咲いていることは、ピカソが望む“希望”にも見えるようです。

 その他にもピカソを取り巻く女性達の話しもあり、あっという間に時間が過ぎてしまい、当日の講義は私の知らない天才画家ピカソの事、それも内面に踏み込んだ研究の一端を知ることが出来、大変有意義なものでした。
 まだまだ書き足りないことが多くありますが、このくらいにしてペンをおきます。

編集後記


 暑さの厳しい夏、初めてメールでの編集会議の提案があり喜んでOKしました。蓼科の標高1200mから松本まで下りたら、暑さがどっと襲ってきます。そんなことを思ったら、一も二も無く提案に乗っかりました。
 恒例のバーベキューも終わり、もう忘年会の計画になります。いつも中澤さんにお任せのお気楽な私です。ありがとう〜って思うだけですが、当り前にならない気持ちが大切だと思っています。(倉)

 皆さんお元気でしたか? 今年の夏も例年に無く猛暑日が多く、ゲリラ豪雨や落雷に心配された方もいらしたのでは? でも季節の移ろう気配は月明かりや虫の鳴き声に秋の到来を感じさせます。
 そんなこんなで又々おんぶに抱っこの会報の出来上がりとなりました。いつもいつも中澤さんには申し訳なく思っております。(Toshi)

 最近は雨が降るようになりましたが、一頃は庭の水やりで大変でした。庭には大きな木があり、夏は日陰が多いので、アオダイショウと思われるヘビさんが住んでいます。
 女房は嫌がりますが、特に悪さをするものでもないので、彼らの好きなようにさせています。

 もう10年以上前から目にしたりしています。昔は白いヘビがいたり、抜け殻が石楠花の木の下にあったり、いつだったか猫にでもやられたような死骸もありました。このときは可哀想なので土手の松の木の下に埋めてきました。

 先日もテラスで洗濯物を干そうとしたら、テラスと家のすき間、1センチほどでしょうか、のところからヌウッとヘビが顔を出して、私と目があったらあわてて首を引っ込めました。その仕草、可愛いもんですね(笑)。
 それから数日後、その親ヘビさんから生まれたと思われる小ヘビ君が駐車場傍から隣の庭に移動していきました。巣立ちなのでしょうか…。(中)

 

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