●安曇野のアン(安曇野市)
マイホームの購入を考えている家庭では色々な夢を抱いていることだろう。友人や近所の人々とバーべキューをする・家庭菜園をしてみたい・ペットを飼いたいなど・・・・。我が家もその通りである。
約40年前に実家神奈川に家を購入した際、まだ周囲に家が少なかったことから中型犬を飼い始めた。その後は小型犬を飼うこととなったが、まだ私がヨチヨチ歩きをする頃に当時では珍しい洋犬を飼っていた。白黒の写真には、芝生に座っているコッカスパニエルが写っている。近所ではあまり見慣れない犬ということで我が家はちょっと注目されていたそうだった。この犬を含めて5匹の犬が家族の一員であった。
今回の主役は我が家に5代目として暮らしている犬の話である。5代目は今から16年前、豊科で旅館を営んでいる家庭で産まれた8匹のうちの1匹である。種類は中国原産の『シーズー』。小型犬であるにも関わらず多産である。当然母犬のオッパイに辿り着くことができない仔犬が2匹生じる。
その為、人間の助けで育児が始まったそうである。また、この模様は夕方のニュースで『我が家のアイドル』に放送されたそうである。
生後約2・3か月で5代目は豊科に住む家庭にもらわれた。お父さん・お母さん・小学生のお兄ちゃんと妹、おばあちゃん5人家族の家であった。お母さんがご自宅でピアノを教えていたことから音楽用語から名前がつけらてた。ところが、数日して妹さんにアレルギーが出てしまい泣く泣く手放さなければならなくなった。5代目のお母さん犬のさらにお婆さん犬の家が私の自宅近くにいて、当時飼い主を探し求めていた。我が家には4代目のヨークシャーテリアがおり、我が家に依頼がきた。
家族で考えていたところ、なんの迷いもなく私は2つ返事で『我が家で飼おう』と言い出したのである。簡単に決めてしまったが、4代目と仲良く過ごし我が家のしきたり(大げさな表現ですみません。)を伝授しトイレの躾・宅急便や郵便屋さんが来たときの対応をなど4代目から教わった。飼い始めて健康診断で動物病院へ行った際、獣医から『もっと食べさせてあげてください。』と叱られた。それからというものの、体重は増え続けMAX 8Kgまでに成長した。
4代目と5代目を連れ散歩に出かけると、通学途中の児童が散歩のリードを奪い合うほど人気の高い犬となった。特に5代目は子供が好きであった。おそらく数日間暮らしていた前の家庭の影響かもしれない。5代目が我が家の一員となって約3年程経過したところで、4代目とお別れすることになった。それから雷や花火の音が怖くて夏が苦手な犬となってしまった。4代目がいたらきっと怖くはなかっただろう。その後は1匹で家族の愛情を独り占めしていたが、両親がそえぞれ他界・弟が一人暮らしなど家で留守番することが長くなり、唯一私のそばにいることとなってしまった。
私は不規則な帰宅時間でとても寂しい思いをさせてしまっていたことから、帰宅後車でスーパーや市役所などで明かりがある場所で散歩をするようにした。私と同じように連れて来ている人もいて『夜の集会』が開かれていた。ある夏の暑い夜、バイクが並んでたむろしているいわゆる『ヤンキー』の集団がいた。何故か5代目はその集団に向かって歩いて行った。私は方向を変えようとしたその時、一人の『怖面』の男性が5代目に気付いた。すると『よう、かわいいなあ。名前は?』と聞いてきた。私はどもりながら5代目の名前を教えた。すると他の男性達が次から次へと5代目を撫でていくのである。見た目と違い優しい人たちであった。帰り際には5代目の名前を何度も呼んで『また会おうね』と手を振って見送ってくれた。冷や汗をかいた私であったが、5代目の持つパワーは物凄いと実感した。
私が怪我で1日中5代目と暮らすこととなった時は朝・夕の散歩に2時間以上かかることもあった。5代目のおかげで外に出て気分転換ができたことが私にとってかけがえのない思い出となった。3年程前に中耳炎が悪化して聴力を失い、昨年には視力も衰え今年に入って光を失った。さらにヨタヨタと歩くようになり、認知症の症状も出てきた。今年の8月頃には腰が立たずとうとう寝たきりとなる。夜泣きも始まった。私は疲れていたことと、介護のことで少々イライラしたが『今できることしてあげよう。後でやっておけばよかったのに。』と後悔しないように努力してみたがかなり大変であった。
それでも仕事に行かなければならないので、早目に食事やトイレの始末などして『早く帰ってくるからね。』と背中をポンポンと軽く叩いて出かけた。
帰宅してからは、おむつの交換・清拭を済ませて動物病院に連れて行くことが日課となった。
9月にどうしても出かけなければならない用事が出来て、実家で1泊することにした。弟は久しぶりに5代目を撫でまわしていた。帰宅後に動物病院の待合にいたときである。なんと最初の飼い主と再会したのである。24歳になった妹さんはアレルギー症状が軽くなり猫を飼い始めた。その猫が緊急手術して入院していたそうである。なんとも不思議な偶然である。
しかしその2日後の早朝、5代目は天国へと旅立った。どうしても休むことが出来なかったのでいつも寝ていたところにそっと置き、『午後に休みとるからお留守番しててね。』と、いつも出掛ける時のように背中をポンポンと叩いて玄関を出た。まだ暖かった。ひょっとしたら『ワンわん』と泣いてくれるかもしれないと期待した。薄陽の差す静かないつもの朝であった。
車庫から車を出す時に近所の庭に咲いていたコスモスがいつもの年より鮮やかで美しいなあと思った朝であった。