長野県第二の都市松本と第三の都市上田を結ぶ、基幹道路ともいえる国道254号線。驚くことにそこにある三才山トンネルは長く有料で通行料を徴収していた。ようやく、ことし(2020年)9月に無料となり、松本から上田方面に行きやすくなった。この機会に、塩田平にある名刹、前山寺(ぜんさんじ)を訪ねてみることにした。
信州の鎌倉と称される塩田平は、おだやかな形をした低い山々にかこまれた盆地で、いちばん奥まった場所が別所温泉である。前山寺は西側の高台にあり、はるか正面に上田が見渡せる風景が抜群に素晴らしい。
独鈷山(どっこさん)前山寺は、812年弘法大師空海が護摩修行の霊場として開創したといわれる真言宗のお寺。812年とは弘仁年間(810〜824)だが、そういえば信州漫遊記前回(第6回)で訪れた会田の無量寺の創建も確か弘文20年の819年とされており、7年後となる。つまり、この二寺は、共に空海の意を汲んで建立され、真言宗として始まっている。直線距離でほぼ10Kmほどの隔たり。
そういえば、本堂の屋根の形がよく似ている。同じ建築集団が建てたのかもしれない。創建当時、二寺の関係は相当に深かっのではないかと推察できる。前山寺のいちばんの呼び物といえば、国の重要文化財の三重塔。写真のようにたいへん優美な姿をたたえている。和様・禅宗様の折衷様式で建立年代は不明。様式から室町時代と推定され、三間三重で高さ19.5メートル、屋根はこけら葺き。窓や扉、廻縁、勾欄はないが、長い胴貫が四方に突き出して調和をとる。まだ製作途中で「未完成の完成の塔」と呼ばれている。本尊は大日如来で、独鈷山には奥の院があり岩屋堂と呼ばれ、護摩修行の霊場であった。
後の鎌倉時代になって坂城の村上氏によって塩田城が築城されたが、前山寺はこの塩田城の鬼門に位置する。1582年、武田信玄がこの城を攻めて村上氏を滅亡に追い込んだ。信玄と上杉謙信との有名な「川中島の戦い」とは、1553年(天文22年)〜1564年(永禄7年)の12年間、5回にわたる合戦の総称。この合戦後、塩田城を手中にした信玄はこの城の戦略上の重要性を見抜き、塩田城によく滞在したという。東に真田が上田城を築くまでは、西の塩田城が東信一帯に睨みをきかせていた訳だ。前山寺はその守護の任に就いていたという次第。
塩田平を後にしたとき、紅葉を背景に一陣の涼やかな風が吹き抜けていった。