上田の西に位置する小県郡(ちいさがたぐん)は所属したほとんどの村や町が上田市と合併したため、青木村と長和町の1村1町のみとなってしまった。青木村がなぜ独立の道を選んだのか、さまざまな理由や経緯があったことだろう。1村が独立していくためには、財政的な裏づけのほかに、村民の高い独立意識がなければならない。
青木村民の多くにはそれがあり、おそらく誇り高いの村人たちではないかと推察できる。その根拠のひとつに、今回紹介する国宝・大法寺(だいほうじ)三重塔の存在が挙げられる。もうひとつ、東急電鉄の創始者、五島慶太(ごとうけいた)を排出している誇りも挙げられる。村役場の近くに「五島慶太未来創造館」が開設されていて五島氏を末永く顕彰していこうとしているほどだ。
さて一乗山大法寺のある青木村は、前回紹介した安楽寺八角三重塔(国宝)のある別所温泉の隣の村である。ふたつの国宝の距離は直線にしておよそ3〜4kmしかない。長野県には国宝が8つあるが、そのうちの2つがこの地域に存在する。しかもお互いに三重塔であり、影響しあって建立されたことは容易に想像できる。
大法寺は天台宗で山号は一乗山。寺伝である一乗山観院霊宝記によると、開基は藤原鎌足の子・定恵とされる。創建は古く、奈良時代の大宝年間(701〜704年)で、その後、平安時代の大同年間(801〜810年)に坂上田村麻呂の祈願により、義真(天台宗座主)によって再興されたとされる。本尊は釈迦如来。三重塔は国宝として知られる。
三重塔は、鎌倉時代末期の正慶二年(1333年)の建立。和様の建築様式が守られ、奈良や京都の建築物に遜色ない美しさを誇っている。第二層の木組みの裏側に書かれた墨書から、この塔は大阪の天王寺と関係の深い大工たちの手で造られたとされている。礎石上端から宝珠上端までの高さは、六一尺二寸七分(18.56m)である。周囲の風光との調和が美しさを際立たせているとして、国宝に指定された。参拝者があまりの美しさにふり返って塔を眺めたいと思うことから「見返りの塔」の名でも親しまれている。古代より重要な街道であった東山道に程近く、旅人たちの旅情を慰めたことであろう。
三重塔の下、寺門の正面に観音堂があり、重要文化財となる木造十一面観音及び脇侍普賢菩薩立像も一見の価値がある。十一面観音、普賢菩薩ともにカツラ材の一木造で、平安時代の作。周辺地域では最古の仏像である。観音堂に安置されている。また、青木村天然記念物に指定されているかやの木は、1511年本堂再建時に植えられたとされ、樹齢500年を超す大木。この木が産するかやの実は、大法寺境内で名物として売られている。
ちなみに拝観料は400円。確かに、駐車場に帰る道すがら、三重塔を何度も振り返って眺めたものである。