Iターンネットワーク

新・信州人倶楽部


▲▲▲ 新・信州人倶楽部報 ▲▲▲



第70号

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中澤 滋(松本市)
バーベキュー例会報告


 今年も夏恒例のバーベキュー例会を、松本市梓川の梓水苑バーベキュー会場で行いました。
 今年は早めに予約を入れたので、屋根付き会場がとれ、雨の心配はありませんでしたが、暑い日の直射日光から守ってくれて助かりました。次回もこの会場がいいですね。

 午前10時頃にはメンバーも大体揃い、長野市、駒ヶ根市、茅野市などの他、県外からも会員が来てくれました。人数は 子供を入れて16名。1時間くらい経った頃でしょうか、近くに住んでいる津嘉田さんが、お子さんを連れて顔を出してくれたので、総勢18名となり大いに賑わいました。

 バーベキューですが、まずはイカ焼きからスタート。続いてアスパラやパプリカ、カボチャ、エリンギ、カブ、そしてゆでたトウモロコシなどの野菜焼きが続きます。
 今回の野菜焼きは全てオリーブオイルをまぶして持って行ったので、焦げてひからびて残った野菜もなくて良かったです。
 鶏もも肉と長ネギの串焼き、鶏モモ肉のワインマリネ、定番となった3日ほどつけ込んだチャーシュー味のスペアリブなど、次々に焼いていきます。 それぞれの食材を、様子を見ながら出していきましたが、それ程余ることなく皆さんの胃袋に収まったようです。

 そして食べ物の最後はお好み焼きでした。予定枚数を終えた後にもお子さんからリクエストです。豚肉が残っていたので、急きょサラダ用キャベツを使って何枚か焼きました。 例年やっている焼きそばよりも人気があったようなので、次回もこれで行きましょう。…と、書きましたが、女房が当日、「焼そばはないの?」と聞かれたそうです。焼きそばを食べたい人がいたので、それでは次回は両方作ることにしますね。

 事務局でそろえる食材・飲み物などの他、各自1000円くらいのものを持ち寄りとしたので、皆さんそれぞれの得意なものを作ったり、食べたいものを買って来てくれました。Fさんは昨年と同様、ダッチオーブンを持ってきて、豆とハーブなどの炊き込みご飯を作ってくれました。
 デザートは、持ち寄りのシフォンケーキと波田の下原スイカを切って食べました。

 呑んで食べて、そしておしゃべりがつきなくて、気がつくともう2時になります。あわてて片付けに入り、記念撮影をして、午後2時半頃に解散となりました。いつもながら楽しい集まりでした。

ゆうじん(松本市)

「山」の連載コラム(4)

〜私と常念岳〜


 夏山シーズンまっさかりの北アルプス。松本平からよく見えるピラミッド型の常念岳(2,857m)も例にもれず、お盆前後は言わずもがな、週末ともなればたくさんの登山者で賑わっていることと思います。

 私はちょうど2年前の2008年8月、中学生の時以来、22年ぶりに登山をしました。移住した数ヵ月後ですね。
 単独でテントを背負っていく山はもちろん常念、と決めていそいそと歩きつづけました。そのときは、あぁ、この数十年の間の身体的な怠惰のツケは、こんなにも大きくなって回ってきたよ…。と、年輩登山者の足腰の強さをぼーっと眺めながら、常念乗越(山小屋がある峠で、テント幕営地点)のテントの中で呆然として天を仰いでいたのを想いだします。

 また、当然ながら天上での不便さは(山によってはそうとも言い切れませんが!)、日常の満たされた生活態度に、なんというか少々恥じらいの気持ちさえ芽生えさせる鏡となったりして。山から帰ってきて、あと1ヶ月は山はいいや…、という感覚も、1週間、3日としだいに狭まり、いまでは常念岳も平日に2時間で山頂に立ち、帰ってくるという身体になりました。
 それもこれも、周囲にいる変なオトナたちに引っ張ってもらっているお蔭ですね。皆さん変で強いから、本当に嫌になっちゃいますよ…。

 私たちが特に好んでする軽快登山や快速山歩きとでもいうのでしょうか、それは、目一杯心拍数をあげて引力に抗って自らを限界まで追い込むスタイルです。それも日帰りにこだわって。皆恐妻家なんですかね?とどのつまり、私にとっての常念、そして山は、自分を表現するための材料であり手段であり。また中国では古来より、頭と体は両輪というようなことわざがあります。

 ようするに、不安なときや、やり切れないときは、考えてもだめなので、体を動かしましょうと。自然の中へ全身を託して「逃げ込む」「感じる」懐の大きい場所、そのひとつが常念岳でしょうか。一山越えて帰ってくると、次第に元気になってくるんです。

伊豆 より夏(阿南町)

あしたの長野県農業を担う若人の集い


 阿南町の伊豆さんの娘・より夏さんが、平成22年「あしたの長野県農業を担う若人の集い」の発表で、関東甲信越ブロック大会2位になったそうです。
 当日の発表原稿を入手できましたので、皆さんに紹介させて頂きます。

 文章が少し長いので、別ページでご覧ください

中澤 滋(松本市)

2010 信濃木崎夏期大学

 昨年初めて受講した信濃木崎夏期大学ですが、大変気に入り今年も行くことにしていました。この夏期大学は、大町市・北安曇郡の方、ならびにこの地域出身者は無料、一般の方でも500円という手頃な受講料が魅力です。そして、普通の人に現在最高の講義を提供したい、そんな事務局の思いが94年も続いてきたことに驚きを隠すことが出来ません。

 7月のある日、夏期大学事務局から郵送されてきたパンフレットには、「言語力の発見」(王敏先生)、「地球、宇宙そして人間」(松井孝典先生)など、興味ある9日間の講議がたくさん紹介されていました。
 「これは絶対に行かなければ」と思ったものの、なかなか出かけることができず、ようやく8月8日に出かけることができました。

 当日の講議は、信州大学の遠藤教授による「技術イノベーションで拓く日本の未来」と題するもので、いかにも技術的すぎる感じのタイトルに、女房は少し渋っていました。でも、私が「知らないことを聴くこともいいことだよ」と説得して、一緒に行くことにしたものです。
 実は女房にそう言ってみたものの、技術畑を歩んできた私もこの講義に特別興味があったわけではなかったのです。それでも、とにかく受講すれば何か学ぶことがある、という単純な気持ちが後押ししていたようです。
 で、結論から言うと、女房が「今日の講義は最高に良かった!」との感想、私も予想以上に楽しめた講義でした。

 信大の遠藤守信先生は、ナノカーボン等、新炭素体の科学と応用についての第一人者で、新聞などではニュースを読んだことはありましたが、失礼ながらお名前は覚えていませんでした。
 さて講議ですが、講演など国内外で活躍している先生の豊富な知識とデータ、そして各国と日本の違いなど、いくつもの実体験を交えた面白い話しぶりで、午前・午後の講座があっという間に終わったのです。

 我が家では犬のオスカーが留守番をしているので、最後の質疑応答などは聞くことができませんでしたが、私達は満ち足りた感じで木崎湖を後にしました。 そんな当日の講義内容を少し紹介させていただきます。


<1時限目>
 現在の日本の立場として、1991年より収益の下落が顕著であるが、ここには鉱物資源の買い付け額が5兆円から25兆円に膨らんだこと、そしてそれは中国など、諸外国に比べて日本が資源国から調達できなかった政府の対応力の悪さを分かりやすく説明してくれました。
 そして現在は、経済のサイクルと科学技術の関係から見て、新しい技術の無い時期となっている、と解説され、そのため途上国がまねできない技術革新(イノベーション)が経済の発展を促すために不可欠だ、ということを説いていました。
先生のお気に入りの言葉:「質はどこでもものを云う」の紹介。

<2時限目>
 ヨーロッパのフィンランドやデンマークなどの小国は、日本よりGDPが高く、その戦略は日本でも見習う必要がある。そんなことから環境技術、エネルギー問題と次々に話が進み、中国の火力発電所では石炭に含まれる水銀の除去が進んでいなくて、空気中に200トンもの水銀が放出されているが、日本ではわずか0.6トンであること。そしてそれに関わる技術の輸出ができないのか、また日本では世界一停電が少ない国である、それは大町の水力発電所などが火力発電所の供給ピーク時に電力を供給して需要に応えているシステムの優位性などの話も出てきました。
 そして最後には、電気代が1KW時25円と高い日本は、1KW時2円の安いカナダにリチウムイオン電池を積んだタンカーを送り、電気を買い付けて日本に運んでくる構想などにおよび、その話の展開に驚きました。
 途中、配られていた分子模型キットで球体を作るよう指示されたり、頭を使う時間もありました。

<3時限目>
  チンパンジーと人間の遺伝子は1.23%違うだけ、アメーバがカーボンナノチューブを食べても死なない技術の開発、サイエンスからテクノロジー、エコノミーと進んだ技術は、社会合意を経なければならないこと、子供の学力の話から「都雛(とひ)格差」は「つながり格差」のこと、人間関係のネットワークが子供達に安心して勉強ができる環境を与えていること、大人が勉強する社会が子供のレベルを上げることなど、いろいろなデータを使いながらの説明は説得力があり、「なるほど!」という思いを何回したことでしょう。
 講義の合間合間に、日本の子供達や若者の置かれている化学する環境に言及することも多く、それらは最後に触れられた「日本一」ではなく、「世界一」を目指しなさい、と言う先生の思いにつながっていたようです。

 この夏期大学、どの先生の講議も全く問題なく学ぶことができるように感じてきました。来年も楽しみに待つことにします。

辻 正道(松本市)

おばあちゃんがやってきた 

 8月5日、三重のおばあちゃん(女房の母)が松本にやってきた。兄一家が奥様の故国ルーマニアへ一時帰ることになり、今日より10日間、おばあちゃんを預かることになったのである。歳は私と同じ辰年で82歳。夜、ひさしぶりに見るおばあちゃんは、なんだかやせて、前よりまた小さくなったような気がした。

 8月7日(土)おばあちゃんは花大好きということで、富士見の「百合の里」に行く。足が弱いおばあちゃんだが、女房が手をとり、一歩一歩ゆっくり歩く。花に囲まれた近くのベンチに座る。高原をわたる爽やかな風が実に心地いい。色とりどりの百合の花をめでながら、親子水いらず、ゆったり話すひととき。 
 お昼は近くのそば屋へ。地元産のそばに朝採れのきゅうり、特産の寒天、中でもいんげんの酢味噌あえが特に口に合ったようだ。きれいに食べてしまった。へえー、おばあちゃん、やせてるけど結構食べるんだ。

 翌8日(日)。朝5時にはね起き、気合を入れて前の梓川へ釣りにいく。今日の目標は3匹だ、なんとしてもあげなくちゃ。朝6時半、やったー!これでちょうど3匹だ。しかも、手ごろな岩魚だ!家にもどるとおばあちゃんが起きてきた。「どう、これ」「何、それ?」「岩魚だよ、岩魚!」「よう、こえてる(太ってる)ね」。
 昼にはさっそく塩焼きにする。おばあちゃん、一言「おいしいね」。そうか、三重には鮎は売っていても、岩魚はないのだ。これは最高のごちそうだ!

 8月13日、3人で四日市に帰る。うだる暑さだ。でもおばあちゃんは、いそいそと畑へ行き、花をとってきてすぐ仏壇に供えた。おう、動きがいい!

 そして16日午後、無事、兄家族が帰ってきた。「おばあちゃん、メチャ元気だよ!」
 その夜、松本の家に着くと、おばあちゃんと庭に植えた富士見の百合が、いつのまにか、まっ白い大きな花をつけ、涼やかに夜風に揺れていた。

南澤 江里(松本市)

駒ヶ根に暮らして 

 駒ヶ根市に住んで3年が過ぎ、子供たちを通じて多くの友人ができました。
 地元の方は自宅で畑をやっていることが多く、夏はキュウリ、トマト、冬は大根、白菜と旬の野菜を多く頂ける。駒ヶ根市は、他府県からの移住者も多く当初は移住者仲間で分け合うこともできたが、どこも事情は同じく、仲間内で旬のものがあふれているこの頃。家族でも食べきれず、行き先のなくなったため漬物作りを始めました。
 元々は作るのは好きですが、時間がかけられないため手抜きできる簡単なものばかり。出来栄えもバラバラではあるが、うまく出来た時は実家の母へ送るなどしています。
 旬のものを料理することで、子供たちのおやつも兼ねて創作料理をする機会が増えてきました。旬のものとは関係ありませんが、子供たちが喜んだ一品「バナナケーキ」を紹介します。

<材料(1枚分)>
バナナ2本
サラダ油1カップ
砂糖1カップ
卵2個
小麦粉2カップ
ベーキングパウダー小さじ1/2 

<作り方>
 1. オーブンの天板にクッキングシートを敷き、170℃で予熱する。
 2. バナナ1本の1/3を20枚程度の輪切りにし、残りはフォークでつぶす。
 3. ボウルにサラダ油、卵、砂糖を入れ泡立て器でよく混ぜる。
 4. さらに、小麦粉・ベーキングパウダー・つぶしたバナナを加えなめらかになるまで混ぜる。
  *シナモンや細かく砕いたナッツ類を入れるとさらにおいしい
 5. さきほどの天板のクッキングシートに流し込み、ゴムヘラで平らにします。
 6. 輪切りにしたバナナを並べ、オーブンで170℃、25分焼きます。
 7. 冷ましたあと切り分けたら完成!

 また、まだ「旬の野菜用レパートリー」が少なく、手抜きレシピを大募集してます!

北村 朗子(大町市)

会報を読んでみて 

〜「よりましょ」69号〜

 前回の「よりましょ」69号を読んだ感想を、述べさせていただきます。
 白山書房「山の本」の中の、田中裕二さんによる「家から常念岳、という様式」を読みました。あの中での常念小屋というのは、1919年(大正8年)山田利一と言う人が開業したということが「北アルプス大紀行」一草舎出版、田中欣一責任編集の本に出ていました。

 明治44年最初登り始めた頃、はベテラン案内人の嘉代吉が下りの支脈を間違えたというから、道がある今日でも決して楽な登山ではないと思います。山頂へ登ると今までの苦しさが全て報われますね。

  あの素晴らしい山頂での写真を撮ることができたゆうじんさん、そこで一体何を考え、何を思い出したのでしょうか。

 どんな高さの山にしろ、その達成感は登頂した者のみが知る境地であります。田中さんの「よりましょ」での山岳レース奮戦記は、映画の脚本を読むように光景が目に浮かび、最後の方は一緒にそこにいて拍手したい気持でした。結果22位は日本で22位ということです。ゴールするまでのプロセスを思うと大したものです。

 栂池スキー場の奥の栂池自然園は水芭蕉が有名で、雪がとけるとその後すぐでてくるそうです。珍しく主人が景色の綺麗な所だと褒めていました。私はまだまだ知らない所がいっぱいあります。

 Fさんの記事はいつも共感します。都会の人が来たら一度は通過する思い、というものを、そのまま書いてあります。私も思いっきりフォースピーカーのステレオで、オーケストラの、どの音も聞き逃さず聴いてみたいです。

 昔は良かったと思うとすれば、今は自分専用の机がないことや、クラシック、タンゴ、ワルツ、映画音楽等全く聴かなくなったというより、ステレオそのものがなく、レコードはダンボールに入ったままです。もう駄目でしょうね。
 それでもたまにCDプレイヤーで、ビリジョエル、カーペンターズ、長淵剛を聴けるので我慢できます。おいしいコーヒーと音楽はFさんのイメージです。

 新・信州倶楽部には料理の研究家ともいえる上手な人が多いですね。手作りで安全でおいしいというのが良いです。中澤さんはもうプロなみです。


 伊豆さんのみたぼら玉子は我が家では健康の源。それに津嘉田さんのそばの実のコロモロッケは「冷凍にして郵送します」、なんてなったら買いたいです。


  津嘉田さんが蕨を持ってインタビューに応じた時、私も10時頃テレビ見ていました。日焼けして元気いっぱいに見えました。一度会員皆のをまとめて料理本にしてください。これは倶楽部員としての夢です。

 6月20日(日)Mさんとお会いする事ができました。豊富な知識とMさんがもつ魅力とで、時間はあっという間に過ぎました。又会いたいです。肝心のお店は大町市の常盤の「ミルフィーユ」レストランです。おいしい、手作り、ボリュームあり、店の人も感じ良いし満足しました。肉料理がお勧めのようです。特にハンバーグ、鮭のムニエル、シャーベット、全部真心のこもった料理でした。

 店にはワインの本や手塚冶虫の本、などあり、家庭的です。座った場所も良かった。駐車場がもうちょっとあったほうが良かったかなって、それくらいの印象でした。
 右にガスト、マグドナルド、右のもっと先にCOCO'Sなどライバルがいて、少し控えめに商売しているみたいな感じでした。しかし、ちゃんと東京のIさんの目にとまって良かったです。

 昭和58年頃、私は「一億人の昭和史」写真集全15巻毎日新聞発行と、「人物探訪日本の歴史」暁図書出版全16巻が座右の書でした。枕元にあると安らかに眠れました。それからどこに引っ越しても放さずもって歩いています。
 そして今年の春に農協から注文で「懐かしの写真集昭和の街角大町、安曇野、北安曇」郷土出版社を買いました(昭和元年から60年くらいまで)。

 その本の後ろ、営業者の欄に会員の辻正道さんの名前がありました。嬉しかったです。文化功労賞を受け取ることのできる歴史写真集は、とても根気の要る大変な仕事だと思います。

 “日本の源は地方にあり”と、郷土出版社の考え方は偉いと思います。こういった類の本が、学校の社会の授業に使われたら歴史を好きになる人が増えると思います。今や白黒写真のバック風景、人の装いは貴重です。

 私の父が索道事業組合の仕事で踏み切りのそばに倉庫、事務所があった頃の写真2枚をみて、あまりになつかしく涙が出ました。時代の変化は容赦なく来ます。
 しかしやはり大事なのは真面目に今をせいいっぱい生きること。それが次の時代に受け継がれるのだと痛感します。懐かしの写真集はそのことを教えてくれました。

編集後記


 暑さの中の松本行きでした。少し慣れた!の油断からか、往復とも道に迷ったとんでもない日になりました。
 でも編集会議は楽しく、自分の思ったことを言える雰囲気はありがたいものでした。良い人々との出会いがあり、良い時間が与えられていると感じた時でした。(倉)


 ちょっと早いですが、10月17日に松本市梓川にて「山田杯」という伝統あるマラソン大会が開催されます。
 私はハーフのカテゴリーに出場予定ですが、どなたかカテゴリーは別々であっても一緒に参加しませんか? ちなみに2、3、5、10km、ハーフとありますので、体力にあわせてぜひチャレンジです!当クラブで松本市在住の方々も、もしかすると数人出場するかもしれませんよ!(笑)
 受付は9月17日頃までとなってます。詳細は大会事務局0263-78-3001か、ネット検索でお願いします。(田)


 私の住んでいる梓川梓で早朝女性が熊に襲われて大けがをしたニュース、その現場は私が毎朝ウォーキングしている折り返し点のなごみ荘の近くなのです。県道沿いの山がせまっている集落の奥、山道を歩いて小高い丘のプルーン畑へ行く途中に襲われたものですが、朝の5時といえば、私がなごみ荘で折り返している頃です。
 今までこの地区では熊の目撃情報はあるものの、人が被害に遭うことは聞いたことがありませんでした。7月から9月まではプルーンを狙ってくる熊を見た人は多く、新聞に載っていたある男性は「いつかこのようなことになると思っていた」と述べています。
 女性は、携帯型のラジオを持って山道を歩いていたとのことですが、多少の音では熊除けにならないのか、それともたまたま子連れの親子だったので人の気配を感じずに突然両者遭遇したのでしょうか…。
 このあたりは数年前には梓川の対岸から渡る熊が目撃されているので、かなりの範囲で行動していることは間違いないでしょう。気を付けなければいけません。(中)

 

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